本文 |
LSHアジア奨学会(李秀賢顕彰奨学会)について
2001年1月26日、JR山手線新大久保駅で痛ましい事故が起こりました。ホームから転落した人を助けようと、韓国人の李秀賢(イ・スヒョン)さんと日本人カメラマンの関根史郎さんはとっさに線路に飛び降りました。しかし、転落した男性は泥酔していて救助が間に合わず、3人はすぐ近くまで来ていた電車にはねられ、帰らぬ人となりました。この事件は当時大きなニュースとして取り上げられましたので皆さんのご記憶にもあるかと思います。まだまだ反日感情のあるはずの韓国人の勇気ある行動・・・と注目されました。 韓国でもトップニュースとして取りあげられていました。 李秀賢さんは1974年韓国の釜山に生まれ、当時26歳でした。韓国の高麗大学で貿易の勉強をし、将来は日本の貿易会社に入り、日韓の橋渡しになりたいという大きな夢をもって日本に来ていました。彼は幼い頃から何事にも全力を尽くし、曲がったことの嫌いな熱血漢、スポーツが大好きで、マウンテンバイクで韓国中を走り回り、日本ではマウンテンバイクで富士山頂まで登ったこともあるバイタリティのある人でした。 日暮里の日本語学校に通いながら新大久保にあるインターネットカフェでアルバイトをしていた彼は、そのバイトを終え、帰宅しようとしたところ新大久保駅で事故に遭遇したのです。 その後、李秀賢さんのご両親(李盛大さん、辛閏賛さん)は、「日韓の橋渡しになりたい」という彼の遺志を継ごうと、秀賢さんのように日本語学校に通う学生(就学生)の経済支援のための奨学制度を作ることを提案されました。秀賢さんの通っていた赤門会日本語学校の新井理事長が中心となって動き出し、翌年の2002年1月に特定非営利活動法人LSHアジア奨学会(李秀賢顕彰奨学会)が設立されました。 ご両親は日韓両国からお見舞いにと寄せられた多額のお金をこの奨学会に寄付されています。ご両親はお見舞金を秀賢さんの通っていた高麗大学、高校にも寄付をされ、いただいたお見舞金は手元には残されませんでした。 日本で学ぶ海外からの学生は、大学で学ぶ学生が留学生と呼ばれるのに対して日本語学校で学ぶ学生は就学生と呼ばれています。就学生には、留学生とは異なり、学費に対して消費税が課され、学割定期の摘要がない、安価な宿舎を利用するための公的支援もない、支給される奨学金制度もほとんどないという状況でした。 このLSHアジア奨学会の設立により、2002年からアジアからの就学生に毎年奨学金が給付されることになりました。支給額は、一人につき150,000円(1ヶ月25,000円を6ヶ月分)で、2002年から増減しながらも、2006年度以降は毎年50名へ支給されてきています。これまでの7年間で381名の学生たちに奨学金が授与されてきました。
ぺ・ヨンジュンさんの応援サークルB.S.J.では、2004年からヨンジュンさんの誕生日とバレンタインの時に、プレゼントやチョコレートの代わりにと、この奨学会への寄付を呼びかけてきました。 合計10回、「ぺ・ヨンジュンさんを愛する人達」からとして多くのヨンジュン家族が寄付をしてきました。
ここ「ぺ・ヨンジュンさんを愛する人達」では、ヨンジュンさんを応援しながら、この活動を引き継いで参ります。
|