ジニョンが落ち着きを取り戻すまでレイモンドは静かに
彼女の傍らにいた
ジニョンは長い間・・・床にしゃがみこんで泣いていた
自分の周りには誰もいないかのように無防備に
時に子供のように大きな声で叫びながら・・・
時に堪えるように震えながら・・・
ただ・・ただ・・泣いていた・・・
このまま放っておくと、彼女の中の涙が
本当に・・・一滴もなくなってしまいそうだった
それでもジニョンのその哀れな姿を前に
レイモンドは彼女に近づくことさえできなかった
彼にできたことは・・・
ただ黙って自分の瞳に彼女の姿を映し続け
心で彼女の頭をなで・・心で彼女の涙を拭うことだった
しばらくしてジニョンは大きく深呼吸をして
吸い込んだ空気をそのまま大きく吐き捨てた
まるで何かを吹っ切る儀式を執り行ったかのように・・・
その後で彼女は不意に立ち上がると窓辺に向かった
そしてまたしばらく沈黙のまま、目の前に広がる湖畔の
ずっと先に視線を送っていた
「ジニョン・・・
ジョルジュをここに迎えに来させている
きっともうその辺で待ってるよ・・
私は送っていけないが・・・」
レイモンドはやっと彼女に声を掛けることができた
「この家は・・売られるんですか?」
ジニョンがやっと口を開いた
「ああ」
「そうですか」
彼女はもうさっきまでの興奮から冷めたように
落ち着いた表情で答えていた
その表情がとても大人びていてレイモンドは驚いていた
そこには、もう以前のジニョンはいなかった
「私も・・」
「・・・・・・」
「ここで君と・・・
お別れをしなければならないね」
「・・・・はい」
「ジニョン?」
「はい」
「大丈夫かい?」
「・・・・大丈夫です」
「そう・・じゃあ、もう行きなさい・・・
お父様が空港で待ってらっしゃる
きっと・・心配しておいでだ・・」
「はい」
ジニョンはレイモンドに向かって一筋の笑顔も浮かべることなく、
ゆっくりと深く一礼をして、そのまま玄関のドアに向かった
「ジニョン! 」
レイモンドは思わず声を上げ、彼女の足を止めた
「フランクに・・」
「・・・・・・」
「フランクに・・何か伝えることは・・
あるかい?・・もし・・もし彼に会ったら・・」
ジニョンはレイモンドのその言葉にしばらく俯いたまま沈黙していた
そして想いを振り切ったかのように顔を上げて彼を見た
「いいえ・・・何も・・・」
そう言って彼女は寂しげに首を横に振った
ジニョンは最後まであの輝くような笑顔を見せることなく
ドアの向こう側へと消えた
レイモンドは追いかけて行きそうになる自分を
拳を握り締めて耐えていた
「あれで・・・いいのか・・・・」
レイモンドは誰かに問いかけるように呟いた
「いいのかと聞いてるんだ!
答えろ!・・フランク!」
「・・・いいんです」
裏口のドアを開けて、フランクが部屋に入ってきた
「・・ジニョンを連れて来るなんて・・」
「話したら・・ここに来なかっただろ!
今なら・・間に合うぞ・・」
「・・・いいえ・・彼女はジョルジュが・・
守ってくれます」
「お前!」
レイモンドはフランクに詰め寄ると彼の胸倉を激しく掴んだ
「・・・・・・・ジニョンに・・
ジニョンに・・・私の・・ジニョンを・・
あんなに・・」
レイモンドは彼を睨みつけながら泣いていた
「・・・・」
「あの子の笑顔は守れ・・
そう言っただろ!
あの子には・・お前しかいない・・
そう言っただろ!
何故・・守らなかった!
何故・・守ろうとしない!
何故・・・・・・」
「・・・・」
「何んとか言え!」
「・・・・僕が・・・臆病者だからです・・
彼女が・・僕といて幸せでいられるのか・・
彼女を・・守っていけるのか・・・
僕に・・彼女を得る資格があるのか・・」
「彼女が幸せかそうじゃないか・・決めるのは
お前じゃない・・彼女だ・・」
「それでも!・・・僕は・・決めた」
「そうやって勝手に考えて・・勝手に決めて・・
彼女の心を・・お前は踏みにじった」
「・・・・・・」
「お前はこれから先ずっと・・その報いに苦しむんだ・・
後悔に・・・苦しむんだ」
「後悔?フッ・・・」
「何が可笑しい!」
「後悔なんて・・・
それは心を持った人間のものです・・・」
「・・・・・・」
「僕はもう・・・心を捨てました」
フランクは薄く悲しげな笑みを浮かべながらポツリとそう言った
「何を・・言ってるんだ」
「だから僕に・・後悔なんてあるはずがない!」
フランクは今度はレイモンドを睨みつけてそう言い放った
「・・・・馬鹿な奴」
レイモンドはフランクを壁に投げつけるように
彼の胸倉から手を離した
「・・・あなたに・・何がわかる・・・・」
「ああ・・わからない!」
「あなたに!・・
何がわかる!」
フランクはレイモンドに自分の持て余した心を
ぶつけるように叫んでいた
彼の背中が叩きつけられた壁を滑り落ち床に崩れ落ちた
溢れる涙を拭うこともせず、とうに下した自分の決断を
肯定する理由を探していた
でもそれは見つけられなかった・・・
《その人を捕まえて!泥棒!
その人泥棒です! 》
《離せ!・・僕が君の何を!
何を盗んだと言うんだ! 》
《私の唇・・・》
ついさっきまで・・・ここで・・・愛しいジニョンが泣いていた
何度も・・何度も・・
ドアを開けて駆け寄り、彼女を抱きしめたい衝動に駆られた
《愛なんて・・・邪魔なだけだ・・・
そう思ってた・・・
・・・君さえいなければ・・・
こんな苦しい想いをせずに済んだんだ・・・》
《私がいなければ良かったってこと?》
君がいなければ・・・
すべてが・・・いらない・・・
フランクもまた、壁越しにジニョンと共に泣いていた
ジニョンの泣き叫ぶ声に耳を塞ぎ耐えていた
フランクは自分の意志で
自分の心が崩れゆく音を聞いていた
そして・・・
その音はレイモンドの声さえもかき消した
ねぇ・・ジニョン?・・・聞いておくれ・・・
僕は君の前で・・・ドンヒョクという本当の僕に戻りたかった・・・
でも・・・今の僕はもうシン・ドンヒョクじゃない
君も何処かで感じていたでしょ?
だから・・・僕をドンヒョクと呼ばなくなった
《這い上がって生きることを強いられた男・・・》
それがフランク・シンという・・・この僕だ
《愛してくれる人が誰もいないなんて・・・
どうして、そんなこと思うの?
そんなの・・・悲しすぎる・・・》
《僕は・・君がいてくれればそれでいい・・・
愛してると・・・言ってくれる君が・・・》
《嫌よ・・・フランク・・・あなたが・・・
そんな悲しい心のままに生きるのは嫌・・・》
悲しい心も・・・
もう・・・何も無い・・・
僕の中から・・・
ジニョンを・・・
この世の全てをかき消した・・・
自分の名を何度も何度も呼ぶジニョンの泣き声が
次第に遠く・・・いつしか霧となって消えていた
フランクは既に、自分が今何処にいて
何を思い何をしているのかさえわかっていなかった
そしてジニョンと同じように
涙が涸れ果てるまで泣いていた
後悔なんてあるはずがない・・・
後悔なんて・・・心を持った人間が味わうもの・・・
僕はもう・・・
心を捨てたんだ・・・
外は既に夕暮れて・・・沈み行く陽が湖畔を紅く染めていた
見上げた空はジニョンと初めて会った時と同じ色をしていた
僕はあの日から・・・ずっと・・・
夢を見ていた・・・
君のこの笑顔が・・・
必ず僕の前に・・・
・・・永遠でありますように・・・
もろく・・・切なく・・・儚い・・・君の夢を・・・
君の声が・・・
夢に遠く消えてゆく
君が・・・
・・・消えていく・・・
待って!・・・私は・・・
私の名前はジニョン!
・・・ソ・ジニョン!・・・