「いいえ、まだです。携帯にも出ませんし…
何かトラブルでもあったんでしょうか?」
「…うん」
ドンヒョクのオフィスで、レオと秘書のイ・ヘヨンが話しをしている。
「ご自宅の方に連絡してみましょうか?」
「いや、それはまだいい。もう少し待ってみよう」
「はい」
ボスがオフィスに来ない。
この会社の創立以来、もうすぐ一年になるが
ドンヒョクが出勤時間に来ないのは初めてだ。
もちろん、遅く出勤することはあるが、
それは前日からわかっていて、スケジュール通りなのだ。
それが、今日は…
ヘヨンは首をかしげた。
おいおい、遅刻かよ
もしかして、こんな事は初めてじゃないか?
だいたい、原因はわかっている
…ジニョンさんだな…
この前の妊娠間違い事件の時も、
契約よりジニョンさんの病院を選んだくらいだからな
…わかってるよ
ふーん、幸せそうで良かったな…
…って、もうすぐクライアントが来る時間だぞ
どうするんだよボス!
…また俺一人か?
レオは、焦りながらもニヤニヤしていた。
―
― 颯爽と ―
この会社の社長、シン・ドンヒョクがオフィスに入ってくる。
今日も完璧なスーツ姿で、それは優雅で自信に満ち溢れている。
「おはようございます、ボス」
ヘヨンが声をかける。
にわかに緊張感が走り、オフィス内は空気が張りつめる。
「おはよう。遅れてすまない。何か変わった事はないか?」
ドンヒョクはいつもと何の変わりもなくヘヨンに確認する。
「レオさんとクライアントの方達が、会議室でお待ちです。
それと、ニューヨーク支社から電話がありました。
ボスからの連絡をお待ちしてるということです。
あと、ジュオン・グループのチェ会長がお目にかかりたいと」
ヘヨンは事務的に答える。
「わかった。では、スケジュールを調整して先方に連絡してくれ」
「わかりました。…それで、今日は何かトラブルでも?」
「いや、思いっきり私用で遅れた」
「……」
ポーカーフェイスのまま言うドンヒョクを見て
ヘヨンは吹き出しそうになるのをこらえた。
ドンヒョクは会議室に行こうとしたが、途中で振り返った。
「あ、それから、ヘヨン」
「はい?」
「今日、昼頃ジニョンが来る予定だから、
途中で逃げないように確保していてくれ」
「かしこまりました」
さっきよりも真剣な顔で言うドンヒョクを見て、
ヘヨンは本当に吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
ドンヒョクはまた会議室の方へ向かった。
途中で何人かの部下に囲まれ、次々と指示を出す彼を見て
ヘヨンは感心せずにはいられなかった。
…奥さまがいらっしゃるのね
ヘヨンは以前の事を思い出していた。
そうそう、あのデスクの前に座って、会議室のボスのことを見ていたわ
…きらきらした目をして少女みたいだった。
わたしのほうが1つ年上と知って、丁寧な言葉を使ってくれますね?
今まで、何人かのボスのもとで仕事してきたけど、
あんなにパーフェクトな方は初めて…
そして、奥さまみたいな方も初めてです
またお会いするのが楽しみです
―
鏡の前に立つジニョン。
シンプルなノースリーブのピンクのワンピースに
ショート丈のブルーグレーのジャケットを着る。
そして、胸元にはあのプラチナのネックレス。
髪を綺麗にブローして、唇にルージュを塗り
爪も同じ桜色のマニキュアを塗った。
…ドンヒョクさんのオフィスに行くのだから
おしゃれしないとね
それに、このジャケットは今日の彼のネクタイと同じ色よ
ジニョンは鏡の中で微笑んだ。
今日は時間がないので、タクシーに乗る。
行先を告げ、ジニョンはタクシーの後部座席に座る。
バックから携帯電話を取り出し、1番のキーを押す。
「…もしもし…ええ…ドンヒョクさん、今、大丈夫?
…ええ 今、タクシーでそちらに向かってるの…
もちろんよ あのね、今日はがんばっておしゃれしてきたのよ…
もうすぐ着くから待っててね… え? だめよ…今は言えないわ
…もう、しょうがない人ね …愛してるわ…じゃあね…」
ジニョンは電話を切ると、少し頬をそめて微笑んだ……。