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ペ・ヨンジュンさんを愛する人達 ペササ
ペ・ヨンジュンさんを愛する人達 ペササ(https://club.brokore.com/byjssd)
いつまでもペ・ヨンジュンさんを愛し、その愛でアジアの学生達を応援したいと思う人達の集まりです
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BSJ 奨学会報告
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No 10 HIT数 11419
日付 2005/03/02 ハンドルネーム Comittie
タイトル 李秀賢さんを偲ぶ会(2005/1/26)のご報告
ファイル a0100077_3_lsh偲ぶ会1.jpg
本文 李秀賢さんを偲ぶ会のご報告   cranberry  2005/01/27 10:23

4年前の1月26日、東京新大久保のホームから転落した人を助けようと線路に飛び降り、帰らぬ人となった韓国の留学生 李秀賢さん。 昨日の彼の命日に 都内新宿のホテル会場にて 「故李秀賢君を偲ぶ会」 が行われました。 
LSHアジア奨学会よりお招きをいただきましたのでBSJスタッフ9名、メンバーの中からお申し出のあった10名の方々と出席して参りました。

秀賢さんが亡くなられた時間にあわせて、夕方から始ったこの会場には100名以上の関係者、彼の周辺の方々が集まり彼を偲びました。もちろん秀賢さんのご両親もお見えになり、皆さんと親交を深められていました。

白い花に囲まれた秀賢さんの遺影を前に 全員が黙祷して会が始りました。
秀賢さんの生前のエピソード、奨学会の設立への経緯の説明の後、谷野会長始め来賓の方々のご挨拶につづき お父様の李盛大さんのご挨拶がありました。 秀賢は亡くなってしまいましたが、秀賢の遺志を継いでいき、これからも多くの方々と交流を深めて行きたい、と話されました。

そして今年度奨学金を受けられた中国の斉さんが奨学生代表としてご挨拶されました。
ハルピンから来た斉さんは、流暢な日本語で 「根気」という言葉から今ある状況を微妙なニュアンスで表現され、「秀賢さんの心は私達の中に生きています。根気を持って秀賢さんの分まで頑張って生きて行きたい。」と述べられました。後から彼女に声を掛けさせていただくと、大学では心理学を専攻するとのことで希望に満ちた笑顔がとても印象的でした。

そして、出席者一人一人が順番に秀賢さんに白い菊の花を献花しました。
ご両親は会の途中で退出され、 秀賢さんが亡くなられた時間に合わせて新大久保の事故現場に向かわれました。 午後7時19分、新大久保駅のホームのご両親と会場の出席者全員が同時に黙祷を捧げました。

また、懇親会の途中では 嬉しいお知らせがありました。既にご存知の方も多いかと思いますが、秀賢さんの映画の製作発表です。 プロデューサーの野辺忠彦さん、監督の花堂純次さんのご挨拶がありました。2005年日韓友情年記念映画として日韓合作 「あなたを忘れない」というタイトルで製作に入るとのことです。 秀賢さんの心を通じて、日韓の友情の輪広がることを願いつつ、完成の折には日本、韓国はもちろんのこと、アジアにも広めていきたいと、高揚に語られました。
監督さんに声を掛けさせていただくと 製作状況をHPを通じてお知らせしていきたいとのことです。私たちBSJの活動についてお話し、完成を楽しみにしておりますと申し上げました。

再び会場に戻られたご両親は休むことなく、みなさんと言葉を交わされ終始笑顔で対応されていました。 前回の授与式のときに参加されたメンバーの方も何人かいらっしゃいましたが、お母様は ちゃんと私達のことを憶えていてくださいました。 息子さんを失った悲しみを 彼の遺志を継ぐこと、そして多くの方々と交流を深めていくということに昇華されていったご両親。その優しい微笑の中にオンマの強さを感じました。 そして最後に コンガンハセヨ~、と皆さんでご挨拶してお別れいたしました。

奨学金に感謝し、意気揚々とこれから大学進学に向けて頑張っていく日本語学校の学生さん達、秀賢さんの映画制作に情熱を捧げる監督さん、そして笑顔のご両親・・・皆さんとの関わりから また胸が熱くなった一日でした。

BSJとして 遺影の前に花束を献花させていただきました。
こんなメッセージを添えて・・・
   
李秀賢さん
   あなたは 日本と韓国の架け橋となってくださいました
                         心から、    ありがとう      BSJ

***** *****
お忙しい中ご出席くださった皆様、お疲れ様でした。
そして、日々事務局の方と連絡を取っておりますゆえ、その運営にお一人でご苦労されているのを伺っておりますので、BSJとして受付等のお手伝いもさせていただきました。お手伝いの方、ご苦労様でした。
ご参加のみなさまもご両親にお会いできて感激されていましたね。どうぞ、よろしければ それぞれにお感じなられたことをレスでお願いいたします。

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purplulun  2005/01/26 18:51

YahooJapanのエンターテインメントニュースを開いたら、新大久保駅で亡くなった「李秀賢」さんを主人公にした映画が制作されるとのこと。タイトルは『あなたを忘れない』だそうです。偲ぶ会、確か今日でしたよね。会の中でも、発表されているでしょうか。

***** *****
satovic   2005/01/26 23:26

はい、今日の会の中でも報告されていました。プロデユーサーさん?と監督さんがきて 御挨拶なさいました。監督さんは頭が緑なのでビックリしましたが(笑)彼等が李秀賢さんのことを取材して一番心に残ったのは インタビューを受けたときに、御母様がいわれた次の言葉だったといいます。

「日本の方々は スヒョンのしたことを評価してくれますが、普通の人間なら誰でもがやることです」

自分の息子をあの事故で失って こんなことを言えるお母さんっているでしょうか。どんな方なのか 私も御会いするのを とても楽しみにしていたんです。今日、その願いがかないました。笑顔のきれいな方でした。とても明るい 力強い笑顔で 見ているだけで私達が元気づけられるような方でした。あの事故から今日で4年。こんな素晴らしい笑顔になることができるまで とても時間がかかったことと思いますが 悲しみを乗り越えて 今は他の人達を励ますことのできる強さを身につけられた それまでの道のりはいかばかりだったろうかと思います。今日の報告は また別の方々からもあがることと思いますので短くしておきます。李秀賢さんの御冥福を心からお祈りいたします。

***** *****
cranberry 2005 01/27 14:24

秀賢さんのご両親が新潟の被災地に義援金を送りたいと、田中真紀子さんに委ねられたことは、以前hairsprayさんの情報でもご存知の事と思います。
今回のご両親の来日は2泊3日という短い日程なのですが、新潟の被災地にも日帰りという強行軍でいらっしゃるそうです。
皆さんからいただいた愛をお返しするというお気持ちで、行かれるところには可能な限り出向いて礼を尽くしたいお二人です。
最愛の息子さんを失った悲しみは癒えるはずもないのに、すべての人に向けられるその愛の深さには本当に頭がさがります。

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hairspray  2005 01/27 15:44

李秀賢さんを偲ぶ会のご報告を早速寄せて頂き、大切に読ませていただきました。昨日私は、この会に出席できました1人です。尊い命の重さを4年という時間を得てようやく李秀賢さんをしのぶ機会の場に恵まれ、心深く想うことができました。白い花に囲まれた秀賢さんの遺影を前に、黙祷する中、ただ心から感謝をすることと、遺志を微力ながらでも担っていく1人の日本人でありたいと、目を閉じて心で唱えることに精一杯の気持ちでおりました。会が始まる前の最初のお時間にご両親に会うことが叶い感無量の気持ちでおりました。只自分の中で、お礼を申し上げること、韓国語で申し上げることがきちんと出来ずにいました状況を汲み取って頂いたのか?お母様が手を差し伸べて下さいました。その手は温かく、私は両手で包むような握手することで何とか気持ちを添えました。目と目を合わせ、胸にジーンとくる暖かい眼差しで、頷いてくださいました。そして会を終わりにしてBSJの皆様と一緒の輪にご両親を囲み言葉を交わす機会を得ました。私がBSJの皆様に出会えたきっかけともなった映画のお話を昨年伺い知り、秀賢さんを忘れてはならない形なるものでほんの少しでも、BSJと歩んで行けたらと願うなかで、ご両親にお会いでき、今の自分自身の気持ちは幸せとお話をさせていただける中、きちんとした言葉の配慮もなく私自身が泣いてしまいました。とっても恥ずかしいです。ご両親は悲しみを乗り越えて、人を励まされる笑顔に胸が一杯になったとは言え、正直自分の弱さも感じ、本当に強い志をもったこのご両親と秀賢さんのお写真を前に申し訳なく思っております。そして奨学生のお一人の言葉「根気」に添えて希望のエールの明かりが灯っていけるようにと映画日韓合作 「あなたを忘れない」嬉しいニュースとともにアジアおよび世界中で感動出来るように、ひたすらお祈り致します。昨日は、監督に直接声をかけなかった私ですが、失礼をしてしまいました。今後はせめてHPなどでお知らせ見守り、嬉しいし消息を又皆でわかち合いたいです。昨日ご出席されました皆様と、運営等にご足労頂きましたスタッフ様に、深くお礼を申し上げます。またお会いできました機会を大変嬉しく思っております。李秀賢さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。それから…上記にも、恥ずかしながらHNあげていただき恐縮ですが、今日は新潟に行かれるとのことで、本当に心を日本に砕かれ、最愛の息子さんの失った悲しみは癒えるはずもないお気持ちを、多くの人に、向ける励ましの愛に寄せて頂き、心深く感謝の気持ちです。長文で重ねて恐縮です。返信が遅くなりました。この場をお借りして、お礼を申し上げます…。

***** *****
nokkoshibu 2005 01/27 17:53

私も昨日の「偲ぶ会」に参加させていただきました。
こういう機会を下さったBSJのスタッフの皆様に感謝致します。
李秀賢(イ・スヒョン)さんが亡くなられて今年で丸4年。
亡くなられた翌年は一周忌ということで、新大久保のホームに
花をたむけられるご両親の姿もテレビで報道され、私達は記憶に留めることができました。
でも、2年、3年と時が経つにつれ、そんな事もあったな~という感じで、
私の心の中では、すっかり薄くなっていました。
昨年の「偲ぶ会」は三回忌ということもあって、日韓合同で、大きく開催されていました。
でも、そういう事も関心がなければ、素通りしてしまいます。
実際、私は関心もなく、この事をあとで知りました。
その記憶を呼び戻し、LSH奨学会と関わるきっかけを作ってくれたBSJに、本当に感謝します。
映画の題名『あなたを忘れない』
製作者の方がおっしゃっていました。
「この映画は日韓合作ではあるけれど、日本人の我々こそ、韓国人イ・スヒョンさんを忘れてはならない!」
この映画が、多くの忘れていた日本の人々に、大きく韓国の一青年の事を甦らせてくれることを願います。
ご両親は 本当に優しく、穏やかな目をしていらっしゃいます。
私には 本当に不思議です。息子を亡くして、あのような顔になれることが・・・。
私も 何かお話をしたかったのですが、今回も何も言えませんでした。
じっと、お顔を見るだけ・・・。いつか、もう少し話ができたらと思いますが、
今はお顔を見るだけで、充分です。言わなくても気持ちは伝わっていると感じています。
これからも、LSH奨学会と関わる事で、少しでもご両親の力になれたら、
いつまでも この関わりを続けていこうと強く思いました。
BSJの皆様、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。

***** *****
josefine 2005 01/27 23:32

cranberryさん、「偲ぶ会」のご報告有難うございました。また、寒い中出席された皆様、お疲れ様でした。
あの4年前も、寒い日でしたね。あの駅を通る電車をよく利用していましたので、当時は言葉にできないほどの衝撃を受けました。
三浦綾子さんの「塩狩峠」という小説をご存知でしょうか。その最後には、一人の青年が、乗客たちの命を助けるため、自分の身を挺するという非常に感動的な名作です。しかし現実にそんなことが本当にできるものだろうか、と長年思っていました。そして、李秀賢さんのことを知り、ほんとうに胸をうたれました。
今回、ご両親のご様子を読ませていただき、涙がこぼれました。改めて生前の李秀賢さんのお人柄が偲ばれます。
これからも、ご両親のお気持ちに添いながら、LSH奨学会が両国の絆をより深めていく力として発展していきますよう、微力ながら関わらせて頂きたいと思います。
どうかご両親様が無事帰国され、お疲れが出ませんように、とお祈りしております。
B.S.J.スタッフの皆さま、これからも宜しくお願いいたします。

***** *****
satovic 2005 01/28 04:17

塩狩峠!高校時代によみました。懐かしい本を思いださせてくださってありがとうございました。

この本の主人公とスヒョンさんの違うところは考える時間だったと思います。考えに考えたあげく我が身を車輪の下に投げ出す決心をした主人公とちがって スヒョンさんに与えられたのは人生に突然やってきたたったほんの一瞬の時間でした。私は昨年、そのことを考え続けていて、新大久保の駅までいって あの現場にたって電車が来るのに気付く時間をはかってもらいました。9秒でした。
たった9秒。その9秒で彼はどんな風に思ったのだろうかとなんども考えます。きっと今年も考えつづけるだろうと思います。

***** *****
cranberry 2005 01/28 10:24

本当に多くの方が秀賢さんのことに想いを寄せてくださっているのですね。たくさんのレスを頂きありがとうございます。
Josefineさん、「塩狩峠」は私も4年前の秀賢さんの事故のときに すぐ思い浮べました。小説を読んであんなに涙が出たのは初めてでしたので、とても心に残っていました。主人公の信男の婚約者の女性の名前がたまたま私と同じ名前でもありました。
事故は この列車に乗り、彼女との結納に向かう途中の出来事だったのです。幸せを目前にして我が身をもって、峠をすベリ落ちていく汽車を止めたのです。秀賢さんも日本という国を愛し、日韓の橋渡しになりたいと大きな希望を持っていたのですから・・・。

今回satovicさんがご両親にお会いできたことは、私にとってとても嬉しいことでした。stovicさんはお母さんと会話しながらとても感激している様子でした。 彼女こそが、李秀賢さんのことに思いを寄せ、LSHに対する行動を起したいと言った方なのですから。ヨンジュンさん初来日情報が入った昨年の3月のこと、satovicさんが、公式サイトでファンミの収益は李秀賢奨学会に寄付してはどうかと提案していました。このとき私と彼女はまだ知り合っていません。でも彼女のスレがとても印象に残っていました。諸々の事情からIMXさんは寄付は実現できませんでした。そしてヨンジュンさん来日、そして彼女と出会い、昨年のヨンジュンさんのお誕生日にあの時の提案が実現したのです。

昨日奨学会事務局の方から お礼の電話を頂きました。
BSJからたくさんの方にご参加いただいたことをとても喜んでくださいました。くれぐれも皆様に宜しくお伝え下さい、とのことです。
当日はマスコミ数社が取材に入っていましたが、TVでは昨日既に放送されたそうです。どなたかご覧になりましたか?
新聞は朝刊に2社、スポーツ新聞に3社掲載されていました。

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manarei 2005/01/30 05:33

先日、26日の「李秀賢さんを偲ぶ会」に参加させて頂いたmanareiです。その際はBSJのスタッフの皆様、大変お世話になりました。

Cranberryさんの報告スレッドに、早く感想レスを書こうと思ったのですが、色々な思いが錯綜して上手く書けません。

あの日、「偲ぶ会」に参加するにあたって、李秀賢さんの事を書いた本を読ませて頂きました。その中の一冊に康さんが書かれた「あなたを忘れない」があり、最後の章に李秀賢さんのお母様が著者の康さんに「本当のことをいえば、秀賢が長生きしてくれればどんなによかったか。たとえ息子が罪人になっても、それでも長生きしてくれた方がどんなにどんなによかったか。それはどのも母親でも、同じ気持ちではないでしょうか。」と話された事が書かれています。
この言葉が心にズシリと重く、実際「偲ぶ会」でのお母様の気丈に振舞われる姿や、我々を包み込むような微笑を目の前に、何も言えませんでした。

ただ、参加させて頂いて、この奨学会を微力ながら応援していこうと心に誓いました。そして、この奨学会を続けていくのが、残された我々の使命だと感じました。

このような機会を与えてくださったCranberryさん、Satovicさん、BSJのスタッフの皆様、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

***** *****
satovic 2005/01/30 10:06

梅一輪 いちりんほどの あたたかさ

mannareiさんの梅の写真をみて こんな句を思いだしました。そうですね、私も同じように あの日お母さんの御様子を見ていたら たとえBSJでイベントをしようとしまいと 個人的にもLSHにずっとなんらかの支援をしていきたいな...と思いました。

実は私はBSJの中では一番奨学会に遠い存在だったかもしれません。と、いうか自分であえてそのようにしてきたんです。こういうことは 知れば知るほど、その中にドップリ漬かってしまい 周囲のことが見えなくなりがちです。特に私はその傾向があるので 奨学会関係のことは cranberryさんにおまかせして 自分はできるだけ 本も読まないし、関係者に会うことも最低限にしてきました。そうでないと その事柄をよく知っている人にとっては常識だけれども 普通の人達にとっては常識ではない というようなことの見分けが付かなくなるからです。

一番危険だと思ったのは 李さんを讃美して聖人化してしまうようなことだと思っていました。ことの性質上どうしても そうなってしまうところがあります。しかし彼はただの26才の青年でした。新宿の路上でケンカをしたり 恋人と一緒に同棲したり、聖人君子ではありませんでした。日本で苦労しながらも思いきり人生を楽しんでいるひとりの青年でした。

そんな人生におとずれた ほんの一瞬....

新大久保駅のホームで 恋人に もうすぐ帰るよ、と電話をして携帯を切ったその瞬間に聞いた悲鳴。線路に人が落ちた!振り返った彼はそれから線路に飛び込み亡くなるまでの間に何を思っただろうか...と そのことばかりを考えてきました。

それは私にも あなたにも 誰にでも起こりうる一瞬だから。

彼がなくなった後、一緒に暮らしていた恋人は手首を切りました。そんな人を残して亡くなっていいわけはなかったんです。彼だって充分わかっていただろうに....。でも見捨ててはおけなかった...。manareiさんが名前をあげてくださった康さんの本によると スヒョンさんは普段から正義感が強く、不正を見逃すことができなかったので、トラブルに巻き込まれるのではないかとおそれた恋人から 自重してね、と常に言われていたそうです。だから新宿の路上で友達がケンカに巻き込まれていた時にも加勢せず じっと殴られていた時もあって、その日は帰ってきてから ボクえらかっただろう?って 言ってたそうです。

そんな彼が ホームに落ちた人を見たとき、彼女のことを考えなかったわけはないでしょう。それでもとびこんだ時、彼は何を思っていただろうか...と。その瞬間のことばかり考えてしまいます。

奨学金をもらった韓国の学生さんの作文の中に 彼のことをよく思わなかった、というのがありました。彼はおろかだ、彼のことを愛する両親や周囲の人達を悲しませてまでそんなことをする必要がなかったのに、と最初は思った、というのです。しかし愛は時としておろかなこともさせるものです。落ちた人を放っておけなかった。周囲を見回して間に合わないかもしれない、という可能性と 自分が悲しませるかもしれない人々の顔を てんびんにかけるようなことを 彼はきっとしなかったのでしょう。する暇がなかったのかもしれません。一直線に、今自分がしなければならないことに向かっていったのだと思います。いや、もしかしたら考えた上でも、その場でナニもしなかったら一生後悔する...と 思ったのかもしれませんね...いったい彼は何を考えていただろうか...

私達にもおとずれるかもしれない一瞬

そのことを考えたかった私は 彼を類い稀な勇気の持ち主と讃美せずに 普通の26才の青年として 知っておきたかったのです。....ん....なにが言いたいのかよくわからない長文になってしまいました(笑)

我が家の梅の木は まだ白く硬いつぼみがついています。














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shinaco
李秀賢さん心に刻まれた一人の男性。LSHを通じ少しでも役に立てることを続けていきたい。日本人としてご両親の愛に感謝しております。 2005/03/03
ashibijin
読んでいてまた涙が溢れてしまいました。少しでもこうして地道に続けられたらと願っています。 2005/03/02
konnichiwa
上映会と違い、奨学会そのものを感じさせて頂きました。(当然です><)ご両親にお逢いできてほんとに良かったです。このご縁に感謝☆ 2005/03/02
hairspray
感無量でした!☆地道な一歩これからもみつめて行きたいと思ってます。アップ有難うございました^^ 2005/03/02
hairspray
日韓の架け橋を大切に受け止める事ができてヨンジュンさんに喜びにもなり・・・ご両親にお会い出来感謝をBSJと共に述べられ 2005/03/02
hairspray
このしのぶ会に参加出来まして、心から感謝しています!今こうしてこちらに伺う今の原点は秀賢さんのニュースをお持ちした事の縁から 2005/03/02
 
IMX