先日1月30日に韓国KBS1放送で イ・スヒョンさんの番組が特集として放映されました。(約14分放映)
スヒョンさんのご両親、日本での偲ぶ会の様子、スヒョンさんのことを忘れない日本の人々や関係者、いただいた奨学金を大事にしたいという学生、奨学会のためにボランティアとして動く人たち.....
その中で、1月28日のチャリティーコンサートのための活動についても取材を受けて扱われています。 chunsengyoさんがこの番組の様子を翻訳してくださいました。
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韓国KBS1番組 「取材ファイル4321」 『あー!イ・スヒョン』
零下10度を上下する突き刺す風が厳しかった先日の19日、壮年の夫婦が墓碑の間から姿を現しました。
しばらく丁寧に碑石を拭き取り線香を焚き、、まるで時間が止まったように言葉なく黙祷を捧げます。
山河が変わるという10年の歳月、、、先に逝ってしまった息子への思いを整理するにはあまりにも短い時間でした。
<インタビュー>シン・ユチャン(故イ・スヒョンさんのお母様):「あ、本当に我が子をここに自分が葬ったんだなあと思って1人で急に気づかされるんですよ。驚くほど毎回」
一週間後、日本で開かれる息子の10周忌の偲ぶ会、、、そこで又、会おうという約束をしてやっと足取りを戻します。
<インタビュー>イ・ソンデ(故 イ・スヒョンさんのお父様―お母様のお話も混じっています):「スヒョンもそこについて来ますよ。御霊ですから。日本に行けばそこにいるようです。子供がいつも一緒にいるみたいです、、、日本に行けば」
五年前、、、引っ越しをすればそれだけでも重苦しい痛みから開放されるかと思ったのですが、役に立ちませんでした。
依然と部屋の1つは寂しげに息子の遺品達で溢れています。
手垢のついた本であり、、、写真であり、手紙であり、、、その時、その姿そのままの息子は両親の側を静かに守っています。
<インタビュー>イ・ソンデ(故 イ・スヒョンさんのお父さん―実際に話されているのはお母様です):「ちょっと強く育てねばという考えが先んじていた為に良くやったことは良くできたとか、誇らしいとか。そんな言葉を一言掛けてやれば良かったのですが、、、」
運動と他、そして友人、、、世の中の何よりも家族を愛していた20代の青年がいました。
大変な時も決して挫折することなく勇敢に立ち向かい、それさえも愉しんで生きるのだと言っていた故 イ・スヒョンさん。
電車の駅から落ちた日本人を助け永眠してから丸10年が流れました。 流れ行く歳月のように、、、私たちの記憶の中から次第に忘れつつあるのではないか、彼の人生と追悼の熱気を取材しました。
先日の26日、日本の東京で開かれたイ・スヒョンさんの10周忌追悼式の日
日本で開かれる最後の公式の追悼式場は追悼参加者達の悲しみと内外の記者達で足の踏み場も有りませんでした。
追悼式場の外の通路までいっぱいに埋めた多くの日本人は悲痛な思いで日本での彼の最後の姿を見送りました。
韓日両国首脳も追悼の辞を送り深い哀悼の意を表しました。
<録音>イ・ミョンバク大統領 追悼の辞(クォン・チョリョン駐日大使代読):「韓日両国の架け橋になりたかった故人の遺志を深くかみしめながら、今後も両国の友好協力関係を更に発展されるために両国民が一緒に努力していくことを期待します」
<録音>菅直人日本総理の追悼の辞(菊田真紀子外務省政務官代読):「我々日本国民は10年という歳月が流れた今もイ・スヒョンさんの勇気ある行動を決して忘れないで胸に深く刻んでいます」
二時間ほどの追悼式が終わった後、、、両親は一年ぶりに事故現場を再び訪れました。
御霊になった息子が韓国から日本まで同行しているとの両親の確信はすぐに崩れてしまいます。
<録音> 「気持が複雑になり息子を思い出すと会いたくなり、この寒い所でどうしているのかと、、、」
=その2に続く= |