日本には未だ、イ・スヒョンさんの痕跡があちこちに残っています。
東京都にある赤門会の語学学校
ここには留学生時代の遺品類がそのまま保管されています。
自筆の履歴書から入学願書まで、、、ひところ財布に入れていた外国人登録証には堂々とした20代の青年が写真の中で微笑んでいます。
入学志願書にはついに成しえなかった願いがこのような文句で残っています。
<録音>「韓国又は日本の貿易会社に入社し2つの国の交易において、確かな第一人者になろうと思います」
当時、担任だった60代の教師はいつも明るくて積極的だった生徒を思い出して今も胸が痛いと言います。
<インタビュー>タナカ ノブコ(担任教師):「富士山に登った時、本当に楽しかったと嬉しそうに言った顔を覚えています。その姿は今も思い出すと涙が出ます」
事故が起きたその年、日本ではボランティアが中心になり、奨学会を設立し、以後全国各地から寄付金が殺到し始めました。
学生、会社員、主婦と区分なく彼の死が無駄にならないように使って欲しいと誠意を送ってきました。
毎年寄付する人を取材チームが訪ねた日、奨学会は翌日にある偲ぶ会の準備で奔走していた。
<インタビュー>テライ ノリコ(奨学会事務局長):「この方はイ・スヒョンさんが1月26日、26歳で亡くなって毎月12,626(1月26日/26歳)円を送って下さいます」
ギタリストであるイケナガさんもイ・スヒョンさんの人生を描いた映画に偶然に出演したことがきっかけで熱心な寄付者になりました。
今まで10余カ所でコンサートを開いて集めたお金を奨学会に快く寄付してきました。
<インタビュー>イケナガ(奨学会寄付者):「支援をして笑う人を沢山増やすことが彼(イ・スヒョン)の意志をずっと引き継いでいくことだと思います」
イケナガさんと同じ様な寄付者が出したお金は奨学会を通じて毎年日本へ留学に来たアジア圏の学生達に還元されます。
毎年、学生あたり支給される奨学金は150余万ウォン
今まで18国、480余名の学生達が奨学金を受け取りました。
東京から50キロ余り離れている横須賀市
ここにあるホテルで5年前に日本に渡ってきたバングラディシュのウーディン・イスラムさんがアルバイトをしています。
学業と仕事を兼ねて容易でない異国での生活をしているウーディンさんに面識のない韓国の青年の名前で与えられた奨学金が学業を続けることが出来た大きな力となりました。
<インタビュー>ウーディン・イスラム(2005年奨学金支給):「奨学金の力添えと同じくらい今後、日本で更に一生懸命努力しなければならないと思いました。自分のためではなく他人の為に何かすべきだと思いました。」
=その4に続く=
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