2011年度(第10回) LSHアジア奨学会の授与式、及び交流会が、昨日四谷で行なわれました。ぺササのお仲間数人と参加して参りましたので、簡単にご報告致します。
ー奨学金授与式ー
まずは、故李秀賢さんと、東日本大震災の犠牲者に向けて1分間の黙祷を捧げました。
来賓の方のご祝辞に続き、秀賢さんのお父様である、李盛大様から、今回の奨学生たちお一人お一人に、表彰状が授与されました。
素敵な笑顔のご両親様・・・
2010年度はアジア9カ国から計54名(中国33名、韓国8名、ベトナム3名、ミャンマー2名、台湾2名、インドネシア、マレーシア、ネパール、モンゴル)に奨学金が授与されることになり、会場には35名の奨学生が授与式に参加しました。
表彰状は、「この奨学金は、高い志を抱いて来日し、故李秀賢さんの遺志を継ぎ、日本と母国のかけ橋になる学生に贈られる奨学金です。この主旨を深く理解して、一層勉学に励んで下さい」という、LSH奨学金の主旨を今一度奨学生の皆さんに理解してもらう内容になってました。
最後にお父様の李盛大様からご挨拶がありました。
「東日本大震災に遭われた日本国民の皆様に、遅くなりましたが、心からお見舞い申し上げます。」というお見舞いの言葉で始まり、奨学生に対しては、「未来の夢を叶えるために、一生懸命努力し、よい思い出を作り、祖国に戻ったらかけ橋になって欲しい、LSHとの縁を大切に、李秀賢がいたことを忘れないで欲しい。」そして、「いつも奨学会に寄付して下さってる皆様、皆様のお陰で奨学会は発展し、継続してます。心から感謝申し上げます。皆様のご健康をお祈り申し上げます」と、支援者の皆さん、奨学会事務局の皆様に対する感謝の言葉で締めくくられました。
今回も、いつものように私たちの気持ちとして、ぺササより花束を、秀賢さんの遺影の前に手向けて参りました。
ー交流会ー
場所を移して、ご両親様、奨学生たちと支援者の方々との交流会が開かれました。
会場内に、今回の大震災の後、ボランティアで参加した留学生の活動報告が展示されてました。
会食をしながら、奨学生たちとお話をしました。
途中、お母様がクジを引いて、当たった奨学生の皆さんが、ひと言ずつご挨拶。
日本で勉強をすることにした理由、将来の夢、等々、しっかりとした口調(それも日本語)で語る彼らは、さすがに厳しい選考を勝ち抜いただけの事がある、志を持った立派な青年ばかりです。
選考では、普段の授業の出席状況、授業態度、将来の目標などを書いた作文を参考に、審査されたそうです。
和やかなムードの中、歓談は進み、最後に奨学生の皆さんが「忘れないよ、いつまでも」という秀賢さんの朗読劇挿入歌を合唱し、最後にお母様の辛潤賛様から、ご挨拶がありました。
「日本の猛暑、洪水のニュースに大変心配しておりました。」と日本を心配して下さった言葉で始まり、奨学生の皆さんには、「若い時の苦労は、買ってでもしろ、という言葉があります。今の苦労はきっと将来役に立つ、どうか、目標を持って未来に向かって欲しい」とはなむけの言葉を贈られました。 それと、9月に日本の外務大臣賞、という賞を受けられたことにも触れ、「この賞は、温かい気持ちで寄付して下さる皆様、献身的に奨学会を運営して下さる事務局の皆様、支援者の方々が受ける賞です、心から感謝してます」と、この奨学会を支えてる方々への労いの言葉でご挨拶を終えられました。
B.S.J.時代からぺササになった今でも、多くの家族の皆さんの温かい気持ちが、こうして奨学生の皆さんの一助になってるのは、本当に嬉しいですね。 経済が不振で、震災もあった日本、今後の奨学会の運営も厳しいと聞きます。 この奨学会が長く存続するために、多くの皆さんが関心を持って下さるよう、これからも応援して行きたいです。
前回の10周忌を最後に、1月の偲ぶ会は開催されなくなりましたので、次にご両親様にお会い出来るのは、また来年の今頃になると思われます。
今回参加されなかった皆様も、ぜひ、次回はご一緒に参加されませんか?
拙い報告ですが、最後までお読み下さってありがとうございました。
写真は、オーナーのMARInetさんが撮影されました。 |