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ねぇ、聞いて06・07 |
ぺ・ヨンジュンさんの事をはじめ、井戸端で、語りつくせないことは、こちらでどうぞ。2006~2007年度のものです。 |
No |
232 |
HIT数 |
77 |
日付 |
2007/05/04 |
ハンドルネーム |
★joon |
タイトル |
【ニッコリア】より太王四神記の背景 |
ファイル |
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本文 |
【第一回 太王四神記の背景となっている高句麗っていつの時代?】
高句麗は紀元前37年から668年まで実在した国です。強力な軍事力による中央集権体制で近隣の諸部族と戦いながら勢力を拡大し、現在の韓国忠清道の北から中国の北東地域までを支配しました。高句麗がこの世にあった頃、日本は弥生時代〜古墳時代でした。 「三国史記」の記録によると、高句麗を建てたのは「朱蒙(ジュモン)」。大きな卵の中から生まれたという神話を持つ人物です。朱蒙の誕生神話を簡単にご紹介してみましょう。河の神の娘である柳花(ユファ)はある日妹達と川辺へ遊びに行き、天帝の子である解慕漱(ヘモス)と出会い結ばれます。親の許可なく婚姻したことに怒り、河の神は柳花を太白山(テベクサン)の南に送り、ここで柳花は東扶余(ドンブヨ)、の金蛙王(グムワワン)と出会います。柳花の様子をおかしく思った金蛙王は柳花を部屋に閉じ込めますが、太陽の光を浴びて身篭り卵を産みます。この卵を金蛙王が捨てたところ、鳥や動物がやってきては卵を守り、ここから朱蒙が生まれます。
高句麗の始祖とされる王“朱蒙(ジュモン)”
朱蒙は子供の頃から非常に弓が上手く、「弓の名手」という意味を持つこの名前がつけられました。これに嫉妬した金蛙の息子たちは朱蒙を殺そうとし、朱蒙は母の助言で脱出し卒本(ジョルボン、現在は中国吉林省にある綏芬河の南西地域)に至り、ここで高句麗を建てたといいいます。これは高句麗の建国神話でもあり、朱蒙は初代王様、東明聖王(ドンミョンソンワン)になりました。
長い間高句麗の首都だった卒本に建てられた国内城。その城壁は今でも中国吉林省に残っていますが、城壁の中にアパートが建ち並び遺跡が守られていないのが残念です。高句麗後期の首都は北朝鮮の平壤(ピョンヤン)で、平壤城は北朝鮮文化財1号に指定されてます。
高句麗が最も領土を拡張し全盛期を迎えたのは『太王四神記』の中心になる4〜5世紀です。『太王四神記』の主人公である広開土大王(グァンゲトデワン)が領土を広げ富強で住みやすい国を作り、息子である長寿(ジャンス)王が太平の時代を築きました。この時期日本では大和王権が形成され始めました。
当時の韓半島は大きく高句麗、新羅、百済の三国に分かれた「三国時代」を向かえ、最も領土が大きく力があったのは高句麗でしたが、三国を統一したのは中国の唐と連合した新羅でした。668年高句麗は滅亡し、王族や貴族を中心に多くの高句麗人が日本へ亡命したため、高句麗の文化は日本へ大きな影響を与えたとみられています。その後韓半島は統一新羅時代を経て高句麗の精神を継承する高麗時代が始まり、朝鮮時代、日本の植民地支配と独立を経て今の大韓民国となりました。
韓国の基礎となった三国時代、古代日本との交流も
三国時代は原始的な部族国家から始まった高句麗、新羅、百済の三国が政治制度や農耕生活を確立し、古代国家へと成長した時期で、仏教が伝来した時期でもあります。大陸の文化を固有の文化へ再創造しながら、現在の韓国の基本となった時代ともいえます。この三国の文化がまた古代日本へ伝わって飛鳥文化が生まれ、日本固有の伝統文化へと発展していったのでしょう。三国の中でも韓半島南地方にあった百済と古代日本の交流が最も活発でしたが、高句麗も日本の歴史に残る文化を伝播しています。高句麗の僧侶「慧慈」は聖徳太子の師であり、「曇徴」は紙、墨、硯、絵具をつくる技術を教えたと記録に残っています。法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られています。高句麗古墳の壁画にある自分の衣装や描き方は高松古墳の壁画の壁画とも良く似ていて、高句麗の影響を受けたものとみられています。またキトラ古墳の石室天井に描かれていた星宿(星座)は北朝鮮の平壤(ピョンヤン)を含む北緯38〜39度から見上げた星空を描いたものであることが98年明らかになりました。高句麗滅亡後日本へ亡命した天文学者が描いたか、高句麗のものがお手本となったのではないかとみられています。
長い暦を経て、高句麗の領土は現在その多くが中国になりました。そのため高句麗の歴史を中国は中国に住んでいた部族の歴史と解釈し、城壁や広開土大王碑を中国の文化遺産としてユネスコに登録したことから、韓中歴史問題になっています。『太王四神記』には韓国の歴史を見つめ直し、歴代王の中で最もたくましく潔かった高句麗の広開土大王の精神を忘れてはならないという気持ちが込められています。
高句麗の初代王様「朱蒙」を主人公に高句麗の建国神話の物語を興味津々に描いたドラマもあります。「2006年から2007年にかけてMBCで放映され31週連続視聴率1位を記録し国民ドラマになった大河ドラマ『朱蒙(ジュモン)」』です。4月からBSフジで放映が決まりました。これも『太王四神記」』を理解するのに参考になるでしょう。SBSで放映された『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』は高句麗末期が背景で、KBSの『大祚榮(デジョヨン)」』は高句麗滅亡とその後が背景です
『太王四神記』は高句麗歴史の最盛期を描くので、戦争シーンばかりだった他の高句麗ドラマとは違って、色々なエピソードやファンタジーが盛り込まれた大作であると韓国でも大変期待されています。(第一回:終了)
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php
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