「腹・・すいてないか」 トマゾが部屋に入る時に抱えていたトレイを
ルカのそばに置きながら言った。
「ここは何処?」 ルカは彼の言葉を無視して聞いた。
「いずれわかる」 トマゾはそう言いながら椅子に腰を下ろした。
「何故こんなことを?」 ルカは更に聞いた。
「・・・・・・」
「まただんまり?」 ルカは嘲るように口角を上げた。
「私達を助けるためですね」 傍らにいたジニョンが突然そう言った。
ルカは彼女の言葉に驚いて、問いかけるような眼差しを向けた。
トマゾはそんなジニョンに優しげな眼差しで応えていた。
そしてゆっくりと口を開いた。
「・・・・はい。奥様。
手荒なまねをして申し訳ございませんでした。」
「ジニョンでいいわ」
ジニョンは、自分の勘が正しかったことにホッとして答えた。
「いいえ、奥様。しかし今しばらくご辛抱を・・・
窮屈な思いをさせて申し訳ございませんが、
しばらくここで身をお隠しいただきたい」
「何故?」 それでもジニョンには理由がわからず訊ねた。
ジニョンは車の中で薄れ行く意識の中、自分達を乱暴に扱う
男達をきつくたしなめているトマゾの声が聞こえた。
そして次に意識が戻りかけた時、彼はまず自分を抱えて運び
丁寧にベッドに降ろした。
次にルカを運んで来た彼の姿がおぼろげに見えた。
彼はルカをベットに降ろした後、その髪を優しく撫でていた。
その眼差しは優しげで、自分達に危害を加える人間とは
到底思えなかった。
「あなた達を狙う者が既にヴェネチアに。」 トマゾが言った。
「それは・・・あなたではない、ということですね」
ジニョンは少しばかり愉快そうに言って、優しく微笑んだ。
トマゾは両方の口角を上げ、静かな瞬きで答えた。
数時間前のことだった。
トマゾはルカとジニョンの居場所の報告を、彼らを追い
列車に同乗していた手下の男から受けた。
車でヴェネチアに向かっている途中のことだった。
報告を受けたトマゾは焦った。
ふたりがジュリアーノの手に落ちる前に、自分がヴェネチアに
辿り着かなければと。
そうしなければ間違いなくルカもジニョンも、命の保障は
無かっただろう。
トマゾには時間が無かった。
彼はアクセルを最大限に踏み込んだ。
「ところで・・ここには私達だけ?」
さっき自分を車に押し込んだ男達の姿も見えないことを
不思議に思ってジニョンは聞いた。
すると、その意味を理解したトマゾが表情を変えず答えた。
「はい。あの男達は海で泳いでもらいました。
奴らに・・・いいえジュリアーノに
この場所を知られるわけにはいきませんでしたので」
「泳いで?こんなに寒いのに?大丈夫かしら」
ジニョンが真顔でそう言うと、トマゾは突然笑い出した。
「あ・・失礼・・・いや、きっと大丈夫です。
今頃は濡れた服も乾いているでしょう。」
「ホントに?」
「ええ、本当です」
トマゾは可笑しかった。
自分がヴェネチアに到着する前に、男達に捕まっていたら
ふたりは間違いなく今頃ジュリアーノの前に差し出されていた。
それなのに、この女性は川に落とされた男達の安否を
本気で気遣っている。
「どうして・・・」 状況を理解したルカがやっと言葉を挟んだ。
「あの方にはまだ時間が必要でしたので」
「あの方?・・時間?」 ジニョンがその意味を訊ねた。
「今はまだ何もお聞きにならず、ここで静かにしていただきたい」
トマゾはそう言うと、トレイに綺麗に盛られた果物やパンと飲み物を
改めてふたりに差し出し、部屋を出て行った。
ルカはとっさにドアへと向かったが、外から鍵をかける音が聞こえた。
その島に降り立ち、少し歩くと、教会らしい建物が見えた。
それは赤いレンガの塀に囲まれていた。
ミンア、ジョアンそしてレイモンドが警戒するように辺りを見回す中、
ドンヒョクは迷うことなく教会の入口へと向かった。
その様子を見つめていたエマは、ドンヒョクがここに
初めて訪れたのではないことを改めて確信した。
ドンヒョクは玄関に立つなり、呼び鈴を乱暴に数回鳴らした。
すると直ぐに建物の奥から慌てた様子の人の気配が伺えた。
「お・・お待ちしておりました。フランク様」
その言葉と共に中から男が現れ、ドンヒョクに向かって頭を下げた。
この教会に仕えるカーディナル、シュベールだった。
一方ドンヒョクは彼に挨拶も返さず中へと突き進んだ。
一行も彼の後に続いて建物の中へと入った。
「何処にいる?」
ドンヒョクの鋭い第一声がシュベールを攻撃した。
「まだ戻っておりません」
「戻ってない?」 ドンヒョクは振り向きざまにシュベールを睨んだ。
「はい、サンタ・ルチア駅に着く前にも一度連絡があったんです。
それからすると、もうとっくに着いていなければならないんですが・・」
シュベールの言葉を聞くや否や、ドンヒョクはそばにあった
テーブルを力の限り叩いた。
「いったい何をやっていたんだ。
ヴェネチアを出すなとあれほど念を押したはずだ!
そのために、あの子達に持たせる金をも管理させたはず。」
「はい。そのように・・しておりました。しかし手紙を残して・・・」
シュベールは目を閉じて、自分の至らなさを悔やんだ。
「見せろ。」 ドンヒョクはぶっきらぼうに言って手を出した。
「これです」
そう言いながらシュベールは一枚の紙をドンヒョクに渡した。
それはルカが残して行った置手紙だった。
ドンヒョクはそれを目で追った後、エマを一瞥した。
エマはそれに気が付いて、その紙をドンヒョクから奪い取った。
《エマの幸せを掴み取ったら、戻ります
心配しないで。僕は大丈夫です。妹を頼みます。
ルーフィー》
その紙にはそれだけが書かれていた。
エマは読み終わった後もその文字を凝視したまま、
しばらく動かなかった。
ドンヒョクは腕を組み、人々に背を向けた。
「連絡があった時はどのようなことを?」 ミンアが聞いた。
「はい、5年前の真相を知っていたのか、と聞かれました
最初はとぼけたのですが、あの子の声にただならないものを・・・
それで、戻って来てくれたらすべて話す、そう言いました。」
「ルーフィーは知ってしまったのね」 エマが言った。
「あなたのことも言ってました。エマも知っていたのかと。」
「・・・・・・」
「他に行くところは?」 レイモンドが堪り兼ねて声を上げた。
「いいえ、あの子はここ以外には何処にも行くところは。」
シュベールはそう言いながらドンヒョクを見たが、彼は
終始無言で厳しい表情をしていた。
「待つしかないのか」 レイモンドは歯軋りをした。
「ジニョンssi・・・
どうしてわかったんですか?
トマゾが僕達を助けるためにこんなことをしたと」
「さあ・・・勘かな」 ジニョンは首を傾げて言った。
「ジニョンssi・・」
「ふふ・・・さっきね・・・目が覚めたとき・・・
彼があなたの髪をそうっと撫でていたの・・・とても優しく・・・」
「だからって・・・」
「あんな目をしている人に悪い人はいないわ」
ジニョンは自信たっぷりな眼差しを向けた。
「でも・・トマゾはどうしてこんなことを?
フランクに時間が必要って、何のこと?」
「それは・・・わからないけど」
そう言ったジニョンにルカは呆れたように笑った。
「ジニョンssiって・・・」
「ん?」
「不思議な人ですね」
さっきトマゾが笑った意味がルカにもわかって、顔を綻ばせた。
「えっ?」
「どうしてそんなに人を信じることができるんです?」
「誰でも信じるわけじゃないわ・・・でも・・・」
「でも?」
「ふふ・・・」
ジニョンはルカを見つめて屈託のない笑顔を見せた。
・・・「その方が幸せじゃない?」・・・