CSグループのジュニアは、今後の会社の展望を
広い視野を持って考えている人物だった
ジュニア・・・リチャード・コーレル
年齢は三十代後半、がっしりとした体格・精悍な顔立ち
育ちの良さが滲み出ていながらも、どこか野性味をも感じさせた
「ジュニア・・・こちらが、フランク・シンです
フランク・・・こちらが、ジュニア・・
あ、いいえ、リチャード・コーレル氏よ」
「初めまして・・・お目に掛かれて光栄です・・・」
「こちらこそ・・・お会いしたかった・・・
ソフィアからお噂は兼ねがね・・・」
そう言いながら手を差し出すリチャードの目には決して
社交辞令の挨拶ではない温かみがあった
「だとしたら、あまり良い噂ではありませんね・・・」
そんなリチャードにドンヒョクも親しみを込めた笑顔で応じた
「さあ、それは・・・どうかな・・・」
リチャードとソフィアは互いに視線を絡ませて微笑んだ
ジュニアの話しはこうだった
今回の合併に際して、大方の予想はCSグループ優位の元に運んでいた
しかし、現在SHグループの動きが活発化し、逆に吸収される可能性を呈してきた
スティーブ・ロイドの力量では、おぼつかなくなってきている・・・
吸収合併だけは、何としても避けたい・・・
そこで、フランク・シンの力を借りたい
ただ、ロイド社との繋がりから、スティーブを簡単に
切るわけにもいかない、
しかし、突然二つの企画書が並べられて、
雲泥の差が歴然としたら
上層部もフランクに依頼することを納得せざる得ないだろう・・・
「どうだろう・・・・・ミスター・・」
「フランク・・と・・・」
「では、フランク・・・あなたの企画ならきっと・・・
私は、そう思っている・・・」
「少し買被り過ぎでは?」
「謙遜は要らない・・・
一週間後に控えた幹部会で、その場を設けたい・・・
時間があまりないが、企画書の準備は可能・・・だね・・・」
「承知しました」
「良かった・・・やはり、ソフィアが見込んだだけはある」
「それは、事が成功してからおっしゃっていただきたい」
「はは・・・ごもっとも・・・ところで、フランク・・・
今夜お時間ありますか?」
「・・・・・」
「どうだろう・・・お近づきの印に・・・
二人で、飲みませんか?」
「あら、二人で?私は仲間はずれかしら・・・」
ソフィアが少し拗ねた素振りをリチャードに見せた
ドンヒョクは彼女が珍しく可愛い女性に見えたことに驚いていた
「ああ、二人で飲みたい・・・」
リチャードはソフィアにきっぱりと言った
「いいわ・・・今日はあなた達を引き合わせるのが目的・・・
邪魔者は帰るわね・・・」
「そうしてくれ・・・後で、電話する・・・」
そう言いながら、リチャードはソフィアを軽く抱擁し、互いにキスを交した
「じゃあ、フランク・・・私はここで・・・」
「ああ・・・」
二人は、リチャードの行き付けのカクテルバーに足を運び、カウンターに並んで腰を掛けた
リチャードは親しそうなバーテンに、「いつもの二つ・・・」と言って、ドンヒョクを見た
「あ、フランク・・・私のお薦めの・・・まずは、いいかな・・・」
ドンヒョクは黙って頷いて、カクテルが出されるのを待った
そして彼から薦められたカクテルで唇を湿らすと、少しの沈黙のあと
ドンヒョクの方から口を開いた
「ソフィアとは・・・」
「気になりますか?」
「いいえ、あなたのお名前をソフィアの口から聞いたのが、
今日が初めてだったものですから・・・」
「恋人です・・・付き合いはじめて、十年になるかな・・・
プロポーズし続けて、八年・・・未だに良い返事がもらえない」
「彼女・・・仕事一筋かと・・・あなたのような方がいらしたとは・・・」
「仕事一筋?・・・そうですか?私は、愛一筋・・・そう思ってました」
リチャードは、ドンヒョクの方に向き直ってそう言った
ドンヒョクは彼の視線を感じながらも、正面を向いたまま
身じろぎさえしなかった
「・・・・・・」
「私とのことをご存知ありませんでしたか・・・
結構オープンでしたよ、我々は・・・
それだけ、あなたが彼女のことを見ていなかった・・・
そういうことかな」
ドンヒョクはリチャードの穏やかな言葉の中に
自分に対する棘を感じ取っていた
「・・・・・・」
「何故、私のプロポーズを受け入れてくれないのか・・・」
彼は改めて正面を向き、話しを続けた
「最初の頃は真剣に悩みました・・・
何故、わかってくれない・・・こんなに愛してるのに・・・
君も僕を愛してるんじゃないのか!そう言って、詰め寄ったこともあった・・・
彼女がある時、言いました
まだ・・・見届けたいものがあるの・・・
何を?・・・
その問には答えてくれなかった・・・」
「・・・・・・・」
リチャードはそう言ったあと、カクテルのグラスを見つめながら
ゆっくりと目を閉じ、しばらくの沈黙の後、また改めてドンヒョクを見た
「タイタニック、という映画はご覧に?・・・3、4年前に上映されました・・・」
「いいえ・・観ていません・・・」
「私達は映画鑑賞が共通の趣味でしてね・・・
私とソフィアでは少し映画の趣味は異なるが、
おうおうにして私が彼女に合わせることが多いんです・・・
彼女、自分の好きなものに関して、少し強引なところあるでしょ?」
ドンヒョクは薄く笑みを浮かべて軽く頷いた
「その映画も、彼女の趣味で付き合いました・・・
ご存知でしょうが、タイタニックは沈没した豪華客船の話・・・
終盤で主人公達は冷たい海に投げ出され、
男は女を必至に助けようとします
やがて流れてきた板に、二人で乗れないことを悟った男は
女だけを乗せ、助けを待ちます
しかし、助けはなかなかやって来ない・・・
そうして互いに死を意識したとき、男は女に言います
“君は、生きて、沢山の子供を産んで、彼らを育てて・・・
年をとって・・・温かいベッドの上で死ぬんだ・・・”と
“僕のために・・・絶対に生き残ると・・・
何があろうと最後まで決して、あきらめない・・・と
誓ってくれるね・・・守ってくれるね・・・”
そう言い残して、男は息絶えます・・・そして・・・
女は、男の言うことを聞いて、最後まであきらめなかった・・・
死後硬直した男の指を一本一本・・・
やっとの思いで自分の手から外し、その手を・・離した・・・
深い海のそこへ沈んでいく男を見送った後、
生きることを選びます・・・きっとそれが・・・
彼女の彼への愛の証だった・・・
映画を観終わった後、ソフィアが私に言いました
あなたも、あの状況に遭遇したら、私を命がけで助けてくれる?
もちろん、迷うこと無く、そうする・・・
君も彼女のように、僕への愛の証に生きてくれる?
ええ・・・あなたの言いつけなら・・・必ず聞くわ・・・
そう言って、彼女は私にくちづけました・・・
その時・・・私は・・
彼女の心の中のもう一つの答えを聞いたような気がした・・・
“もしも・・・あの主人公があなたではなかったら・・・”
もしも、あの主人公が、私ではなく、
彼女の心に棲むもうひとりの男だったら・・・
彼女はきっと・・・約束を守る、と彼の心を安心させて
先に逝かせた後・・・
彼の堅い言い付けを守らずに・・・
その屍をしっかりと抱いたまま
一緒に・・・深い海の底へと沈んでいっただろう・・と・・・」
リチャードはそこまで話すと、しばらく言葉を繋げず
カクテルを静かに口に運んだ
ドンヒョクもまた、言葉を噤んだまま正面を見据えていた
「その映像が・・・私の脳裏に浮かんだんです・・・
涙を浮かべたソフィアの顔は何故か、幸せそうで・・・美しかった・・・
そして・・その腕には顔を彼女の胸に埋めた男が
しっかりと抱かれていた・・・
その時からです・・・
それまで押すことしかしなかった彼女への愛を
一歩後ろで、待つことにしたのは・・・」
「何故・・・待てるんですか・・・本当に愛していたら・・・」
「本当に愛していたら?・・・待てない?・・・そうだろうか・・・
私は彼女を深く愛してる・・・
彼女もきっと私を愛しているでしょう・・・
彼女を本当の意味で幸せにできるのも、
私しかいない・・・そう思っている・・・
しかし、断ち切ることができない何かが
彼女の中でまだ息づいている以上
彼女の聖域とも言える心の奥底に、
私は立ち入ることすらできない・・・
彼女が、彼女自身でそれを断ち切るまで・・・
私は・・・待つことにしたんです・・・」
「・・・・・・」
「その男は・・・彼女の心に生きるもうひとりの男は・・・
彼女の愛に気が付かなかったのだろうか・・・それとも・・・
気付いていながら、気が付かない振りをしていたのだろうか・・・」
リチャードは相変わらず真っ直ぐ正面を見据えて
誰に言っている風でもなく、ゆっくりと呟いた
「僕は・・・・」
ドンヒョクはリチャードの方に肩を向けて、口を開いたものの、
その先には繋ぐ言葉が何も見つかってはいなかった
リチャードもまた、ドンヒョクの言葉を待っているわけではなかった
「失礼・・・つまらない話しをしてしまった・・・
聞き流してください・・・全て私のひとりごと・・・
ただ、あなたが言った・・・彼女が仕事一筋・・・それは間違っている・・・
彼女ほど、愛に溢れた女はいない・・・
彼女は・・・愛する人のためなら、自分をあっさりと捨てられる意志の強い女・・・
しかし、本当は・・・その愛に深く溺れていたい弱くて悲しい女・・・
少なくとも私にはそう見える・・・」
リチャードが一瞬厳しい目をドンヒョクに向けて、直ぐに笑顔に変えた
ドンヒョクはそれを沈黙のまま受け入れていた
「ジニョンssi?」
「ドンヒョクssi?どうしたの?」
「電話しちゃ悪かった?」
「今、仕事中なの・・・ごめんなさい・・・でも、何かあったの?」
「いや・・・何も・・・あなたの声がどうしても聞きたくて・・・
ごめん・・・悪かったね・・・」
「ごめんなさい・・・今どうしても外せない・・・また、後で・・・」
ジニョンが本当に申し訳なさそうに、小声でそう言いながら、電話を切った
ジニョンssi・・・
僕は、今まで・・・自分のことだけを考えて生きてきた
周りのことなど・・・本当にどうでも良かったんだ
人の心の痛みなど・・・感じることすらなかった・・・
僕は、どれだけ周りの人間を傷つけて生きてきたんだろう・・・
今、ソフィアの心の痛みが、僕の胸に深く沁みる・・・
こんな気持ち初めてだよ・・・
あなたを愛したことで・・・僕は・・・
知らずにいた方が良かったものまで、見えるようになってしまった・・・
ジニョンssi・・・
・・・愛してる・・・
今朝、あなたが僕にそう言ってくれた夢を見ていた・・・
あなたの声を聞きながら、眠りにつく心地よさを味わっていた・・・
できるならいつも・・・
他のことは何も考えず・・・あなただけのことを考えていたい・・・
あなたにいつも触れていたい・・・
あなたをいつも・・・抱いていたい・・・
あなたの頬に・・・あなたの瞼に・・・あなたの唇に・・・
いつも・・いつも・・・くちづけていたい・・・
そしてそのまま・・・
・・・あなたの愛だけに
・・・沈んでいたい・・・
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【副題】 sink 沈む・減る・心に沁み込む