ヤンが韓国を発った三日後、ロイがドンヒョクの事務所を訪ねて来た
「突然失礼いたします」
「いや、どうぞこちらへ・・」 ドンヒョクはロイを応接スペースへと誘導し
椅子に掛けるよう促がした
「ご用件は・・・・・」
この男が、自分に用があるというのはアナベルのことでしかないと、
ドンヒョクはわかっていながら、そう聞いた
ロイはしばらくドンヒョクの顔を見ないまま、沈黙していた
「アナベルに何かあった?」 ドンヒョクは更に訊ねた
「・・・・・・・・・実は・・・お願いが有って参りました」
言い掛けておきながらまた口を閉ざしたロイに、ドンヒョクは胸の中で
小さく溜息を吐いた 「言いにくいこと?」
「アナベルの・・あの子の想いを受け止めてやって頂けませんか」
ロイは決心したかのようにそう言うと、真剣な眼差しを真っ直ぐに
ドンヒョクに向けた
「どういうこと?」 ドンヒョクは彼に鋭い視線で返した
「あ、申し訳ございません・・・・僕は何を・・・何を言ってるんだろう」
ロイはドンヒョクに向かって謝った後、俯いて自分を責めるように呟いた
「君、もしかして・・・アナベルのことを?・・・」 ロイの長い沈黙は、
ドンヒョクの憶測を肯定しているものだと察することができた
「それなのに・・・どうして、僕にそういうことを?」
「・・・・六年前、会長の指示で私はあなたの身辺調査していました」
更に長い沈黙の後、ロイがやっと口を開き始めた
「・・・・・・・申し訳ございません・・・
アナベルに頼まれて、あなたの嗜好を調べる
そんな他愛のない調査も含まれていました
正直言って・・会長やアナベルに頼まれたこととはいえ、
そんなことをしている自分が情けなくて仕方ありませんでした
あなたを知る毎に、男として劣等感に苛まれもしました
でも、そんな中でも、嬉しいこともあったんです・・
あなたのことを聞くアナベルの喜ぶ顔が、可愛くて、愛しくて・・・
そんなあの子をいつも見ていたくて・・私は懸命にあなたを追いました
あの頃も今も・・・
アナベルは純粋にあなたを愛していたんです、心から・・・
でも、失礼ながら・・・
あなたが彼女を本当に幸せに出来る方なのか疑問でした
会長が・・・いえ伯父がよく言っていたんです・・・
あの男はアナベルを必ず幸せにする。
・・信じられる男だと・・
本当にそうだろうか・・僕には伯父の言うことが理解できなかった
失礼ながら・・あなたは誰に対しても冷淡だった
きっと、女を・・人間を決して本気で愛さない男・・・
あなたという人が・・僕にはそう映っていました・・
だから今回・・・伯父がアナベルをソウルに渡らせたと聞いて、
僕は志願して会長に同行しました
僕は決心していました
あなたが本当にアナベルを幸せにしてくれる男なのか見定めようと
もしも・・・彼女を不幸にするようなら決してあなたを・・」
ロイはドンヒョクに射るような眼差しを向け、切々と話した
「許さなかった?」
「はい。」 ロイは毅然として言った
「でも、ここでのあなたは僕が知るフランク・シンとは全くの別人でした
あなたは・・以前、伯父が言った通りの方だった
“あの男は愛する女を命懸けで守る男”
ジニョンさんに向けるあなたの目は愛に溢れていた
ジニョンさんもまた・・この上なくお幸せそうだった
私にとって幸か不幸か
あなたの気持ちは到底アナベルには向かわなかった
私は正直ホッとしていました・・・でもそれと裏腹に・・・
アナベルはどんな気持ちでお二人を見ているだろう・・・
傷ついてないだろうか・・・泣いていないだろうか
それが心配で仕方ありませんでした・・・」
「そんなに想っているのに・・・どうして君は
その想いをアナベルに伝えなかった?こうなる前に・・・・」
「自信が有りませんでした
僕にはあなたに勝るものが何一つ無かった・・・」
「人を愛することに・・・他人に勝るものなんて必要?
君は自分に自信が無かったんじゃなくて
アナベルをそんなに愛してなかっただけ・・・」
「そんなことは無い!」
「心から愛していたら・・・周りのことなんて一切関係無いものだよ
本当に愛していたら・・・どんなことをしても・・その人を得ようとする・・・
想いは・・伝えなければ伝わらない・・・だから・・
愛している、と精一杯伝える・・・それだけでいいはずだ」
「アナベルも。あなたにそうしたはずです」 ロイはドンヒョクを睨んだ
「・・・・・・」
「でも・・あの子の心はあなたには届いていない。」
「・・・・・・」
「あなたはご自分に自信が有るから・・・
そんなこと、おっしゃるんです」
「自信?」 ドンヒョクは彼の言葉を繰り返した後、寂しそうに笑った
「愛する人の前では・・・
持っていたはずの自信さえ簡単に崩れ去る・・・
僕はただ、この人が欲しい・・・この人に愛されたい・・・
そう思ったから、必死に伝えたんだ
見守るだけで満足する愛なら、それだけのものだと思う・・
君は?・・アナベルに・・・何を伝えたんだろう・・・」
「・・・・・・・」
「僕はアナベルを可愛いと思ってる
でも、それは男と女の愛じゃない・・・それははっきりしている。
だから、あの子の想いを受け入れることはできない・・」
「わかっています・・・
でも・・・あの子を見ていると哀れで・・・辛かった・・だから・・
つい、ここまで来てしまった・・・」 ロイはそう言って静かにうなだれた
「今日これから、彼女の様子を見にホテルに寄るつもりでした
ジニョンも心配しているんです・・・
彼女と少し話をしたい・・・いいですか?」
「はい・・・」
ドンヒョクがホテルに着いた時、そこにアナベルの姿は無かった
外は激しい雨が降っていた
何処へ?
ドンヒョクとロイはホテル中を捜してみたが彼女は何処にも
見当たらなかった
このソウルで彼女が知る場所はそう多くは無い
まさか・・・
ドンヒョクは自宅に電話を入れた
ジニョンもそろそろ帰宅する時間だったが、家にはまだ戻っていなかった
携帯も繋がらなかった
ドンヒョクはロイにここで待つように伝え、自宅に向かった
激しい雨の中、車を走らせると、アパートに通じる外門の横に
黒い人影が見え、ドンヒョクは車を止めた
アナベル?
車を降り、その影に近づくと、ずぶぬれたアナベルが呆然として立っていた
「何をしてるんだ!こんなところで!」
ドンヒョクはアナベルに向かって声を荒げた
それでもアナベルはドンヒョクを見つけてホッとしたように微笑んだ
「とにかく、乗りなさい」
ドンヒョクはアナベルに自分の服を掛け、後部座席に座らせた
そして、急いで駐車場に乗り入れ、アナベルを部屋へと連れ立った
部屋に入ると、何よりも先に彼女をバスルームへと押しやり、
ドアを閉めた
「そこにあるタオルで身体を拭きなさい。
濡れたものは乾燥機に入れて・・・30分程で乾く
ちょっと待ってて、今着替えを用意する」
ドンヒョクはそう言い残して、寝室へと向かった
少ししてドンヒョクは取り急ぎ見繕ったジニョンの服を持って戻り、
それをバスルームにそっと入れた
「ジニョンの服なら、サイズは合うでしょ?
それに着替えて・・・今温かいミルクを入れるから・・
リビングにおいで・・・」
ドンヒョクの口調はさっきまでの怒ったような強いものから、
宥めるような優しい響きに変わっていた
ドンヒョクがミルクを温めているところに、リビングのドアがカチッと開いた
アナベルは大きめのバスローブを羽織っていた
「どうして着替えないの?」
「・・・・ジニョンssiの服・・着たくありません」
彼女は羽織ったバスローブさえ、ジニョンのものを使っていなかった
「そう・・・・好きにするといい・・・服は30分もすれば乾く
座って?・・これを飲みなさい・・・身体が温まる・・・
ロイには連絡しておいたから・・
彼も心配していたよ・・・後で送っていく」
「ひとりで帰れます」
「もう直ぐジニョンも帰ってくる・・・いい機会だ、彼女と少し話をしなさい
彼女・・君のことをとても心配しているんだ・・・」
ジニョンの話が出る度に、アナベルの頬が硬直するのがわかった
彼女のその様子にフランクは小さく溜息を吐いた
「しかし・・・傘も差さないで・・・どうして・・・」
「起きたら・・ロイ兄さんがいなくて・・ホテルを探しまわっていました
そしたら・・・ジニョンssiをホテルで見かけて・・・
ジニョンssi・・明るく笑ってました・・幸せそうに笑ってた・・・
そしたら・・あなたに逢いたくなりました・・・
あなたを探してたんです
歩いて・・歩いて・・気がついたら・・・ここにいました
雨が降っていたことも気が付かなかった・・・
フランク・・・私、おかしくなったんでしょうか?・・・」
「・・・・・・・」
「フランク・・・」 アナベルは切ない眼差しでドンヒョクを見つめた
「・・・・・・」 フランクもまた無言で彼女を見ていた
「・・・・お願いが有ります・・・」
「何?」
「私を・・・・あなたに・・・・どうかお願いです」
アナベルの真剣な眼差しがドンヒョクには痛々しかった
「アナ・・・」
ドンヒョクはそう口にしながら、厳しい眼差しで首を横に振った
「どうか・・・怒らないで・・・
私・・・あなたを想う気持ち・・・ジニョンssiに負けません
一度だけ・・・そしたら・・・きっと・・・あなたにも
ジニョンssiと私・・・どちらがあなたを想っているか
わかってもらえるはずです」
そう言って、アナベルは立ちあがり、羽織っていたバスローブを
肩から下へと落とした
彼女は初めて、生まれたままの姿で愛する人の前に立った
アナベルは心臓が止まりそうなほどに、高揚する自分を押さえられなかった
その時、ドンヒョクは彼女のその行動にたじろぐわけでもなく、
ゆっくりと立ちあがった
彼女の足元に落ちたバスローブを拾い、何も言わずそれを
彼女の肩に掛け、まるで子供に着せるように彼女の腕に袖を通し、
腰に紐を結んだ
そして、彼女の瞳と視線を合わせて言った
「アナ・・・どちらの気持ちが勝っているか・・・
そんなこと・・・どうでもいいことだよ・・・
肝心なのは、僕がジニョンでなければ生きられない・・・
そのことだけだ・・・」
ドンヒョクは彼女に向かって、静かに言い聞かせるように話した
「だとしたら・・・・だとしたら・・・
私は・・・私の想いは・・・何処へ持っていったらいいんでしょう・・・
あなただけを見て・・・あなただけを愛して・・・
あなただけに・・・愛されたかった・・・
私・・・この後・・・どうやって生きていったらいいですか?
私に・・・生きる道しるべを・・・下さい・・・・
あなたに・・・一度・・・・」
切ない瞳を涙で潤ませて懇願するアナベルが哀れだった
「アナ・・・・」 ドンヒョクは濡れた彼女の髪を優しく撫でた
そして・・・彼女の肩をゆっくりと抱き寄せた
ドンヒョクの肩の上に乗せられたアナベルの顔は宙を仰ぎ、
彼女の華奢な身体が脱力していくのをドンヒョクは感じた
アナベルの目から、涙が・・・止めどなく溢れ・・・
ドンヒョクの肩を悲しく濡らした
ああ・・・
この人にこうして抱きしめられるためだけに生きてきた
この人に・・・ずっと・・・
ずっと・・・こうして欲しかった・・・
アナベルは心の底でそう叫んでいた
しかしアナベルはわかっていた・・・この抱擁が愛ではないことを・・・
ドンヒョクはゆっくりとアナベルの両肩に手を置くと、そっと身体を離した
「アナ・・・」
その時、ドアの方で物音がした
ジニョンがそこで呆然として立ち尽くしていた
「どういうこと?」 ジニョンはたったひと言だけそう言った
「ジニョン・・・」
狼狽したジニョンはドンヒョクの言葉も聞かず部屋を出ていった
「ジニョン!」
ドンヒョクが彼女を追いかけようとした時、彼の腕をアナベルが
しっかり掴んでいた
「アナベル・・・離しなさい」
「フランク・・・行かないで!」
「いいから、離しなさい。」
「いや!」 アナベルは必死にドンヒョクにすがった
その時、彼女の様子が可笑しいことにドンヒョクは気がついた
「アナベル?・・」
「行かないで!・・行かないで!フランク!
行か・・ない・・で・・・」
泣きながら懸命に叫んでいたアナベルがフランクの腕の中に埋もれ、
力なく崩れ落ちた
「アナベル!・・アナ!しっかりしろ!」
ドンヒョクssi・・・・今のは何?
どういうこと?
私が見たものは何?
アナベルだった・・・バスローブで・・・抱き合っていた?・・・
嘘・・・・嘘よね・・・ドンヒョクssi
何か理由があるわよね・・・・
なら・・・どうして?・・・
どうして追いかけて来ないの?
ドンヒョクssi・・・ドンヒョクssi?・・・
ジニョンは震えながら一階に下ったエレベーターを降り、
エントランスを走り抜けた
そして激しい雨が降り注ぐ中、ジニョンは無意識に表へ出た
どうして・・・追って来ないの?
ジニョンは何度も何度も振り返りながら、雨の中を歩いた
誤解だと言って・・ドンヒョクssi
誤解だと・・言って!
・・・「 ドンヒョクssi! 」・・・