そして・・・そして・・・
「テジュンssi・・・頼みがあるんだけど・・・」
「何だ・・・・・俺に出来ることなら・・・何でもいいぞ・・・」
「ちょっとそっちへ行ってもいい?」
「ああ・・・じゃあ、ちょっと今日は忙しいから、俺んとこに寄ってくれるか」
「分かった・・・」
サランが退院して一月・・・誕生して三ヶ月が経った
ジニョンはサランの育児に費やす時間が愛しくてならなかった
といっても、それは昼間のことで、ジニョンは夜中のサランの
夜泣きには、未だに慣れなかった
夜泣きをするサランを最初にあやすのはいつもドンヒョクの役目だった
しかし、ドンヒョクが抱いたところでサランは一向に泣き止んだりしない
「どうして、泣き止んでくれないの?」
その都度、ドンヒョクは自分が泣きたい気持ちになった
そして、その奮闘中にジニョンがやっと目が覚める
「う、うん・・・サラン?・・・」
寝ぼけ眼のジニョンが夢遊病者のようにドンヒョクとサランの元へ近づく
そして、サランをドンヒョクから引き取る
すると、とたんにサランが泣き止む
それが、このところ毎日の日課・・・
その都度、ドンヒョクはとても悲しい気持ちになった
「ねぇ・・僕の方が、ちゃんと起きて、君を見てるんだよ・・・
どうして、寝ボすけなママの方がいいの?・・・サラン」
「ドンヒョクssi・・・寝ボすけは余計よ・・・
オンマが言ってたわ・・・生まれたばかりの子供は
お腹の中で聞いていた母親の血液の流れる音や心臓の音を
覚えていて、抱っこされると、その音に落ち着くんですって」
「そうか・・・
じゃあ、今からでも、僕がずっと添い寝するのはどうだろう・・・
僕の胸に近づけて・・・ね、ベビーベッドから
僕達のベッドに移してみない?」
「・・・・・・・・」
あなた・・・変ったわね・・・
翌朝、ドンヒョクがジニョンに「今日、三時にソウルホテルに行って」と言った
「どうして?サランがいるわ・・・」
「サランも一緒でいいよ・・・」
「でも、病院にも行かなければ・・・」
「病院の予約は明日にしてもらった」
「急にどうしたの?」
「テジュンssiがそろそろ君の復帰について話し合いたいそうだ」
「復帰?私はまだサランが落ち着くまで・・・
せめて、半年は、と思ってるわ・・・」
「いいから、その辺も相談しておいで」
ドンヒョクに言われるまま、ジニョンはホテルへ出向いた
ホテルでは昔なじみのみんなが、ジニョンとサランの訪問を喜んだ
厨房からも、料理長までもがサランを見物にやってくる
オ総支配人が、「仕事・仕事・・」と従業員を急きたてた
と言いながら、総支配人もにこやかにサランの手を握って
顔に似合わない可愛い顔であやしていた
「やっぱり、慣れてらっしゃいますね・・・」
ジニョンは総支配人の顔がおかしくてならなかった
「社長は?今日、社長に呼ばれて来たんですけど・・・」
「社長はサファイアで仕事してる・・」
「サファイアで?」
「ああ、君が来たら、そこへ来るようにとの伝言だった」
「そうですか・・・」
ジニョンは、教えられた部屋を訪ねた
「失礼します・・・テジュンssi?・・・」
そこには、テジュンは見当たらず、代わりに誰かを待つかのように
佇む男の後姿があった
それはヤンだった
「あ・・・」
「ジニョンさん・・・お久しぶりです・・・」
ヤンが微かな笑みを浮かべて言った
「どういうこと・・・テジュンssi・・・
いえ、ドンヒョクssiの仕業ね・・・」
ジニョンは突然のヤンの出現に驚きを隠せなかった
「一週間ほど前にフランクから電話があってね・・・
まだ、子供が病院通いの為にソウルを離れるわけにはいかない
もし、よかったら、ソウルへあなたが・・・そう言ってくれて
本当に行ってもいいんだろうか・・・正直悩んだよ・・・
しかし、君に・・会いたい・・・その気持ちの方が勝ってしまった
・・・悪かっただろうか・・・」
「いいえ・・・」
「この子が?」
ジニョンの腕の中にいるサランを見て、ヤンは微笑んだ
「はい・・・」
「アナベルにもらった写真より大分大きくなってるね・・・
可愛いね・・・実は、アナベルが生まれた時、私は家を出ていてね
アナベルに初めて会ったのは、彼女が三歳の時・・・
父親失格と言われても仕方ないんだよ・・・だから、こんな赤ん坊
近くで見るの初めてだ・・・」
「抱いてごらんになりますか?」
「いいのかな・・・」
「ええ・・・どうぞ・・・」
ジニョンはサランをヤンの手に渡す前にサランに声を掛けた
「サラン?・・・おじいちゃんに抱っこしてもらいましょうね」
ジニョンのその言葉に、ヤンは驚いてジニョンを見つめた
「・・・・・おかしいですか?」
「いや・・・」
サランを抱くヤンの目は、ドンヒョクと戦った戦士の目ではなく、
また、ジニョンに見せた紳士の目でもなく、まちがい無く
サランのおじいちゃんの目だった
しばらくの間、ヤンはサランを抱いたまま、部屋を歩き回ったり、
ベランダに出たり、楽しそうに過ごしていた
ジニョンとはさして会話するでもなく、ただ、ジニョンとサランと・・・
ここにいる・・・
その空間を楽しむかのように・・・
夕方になって、テジュンが食事の用意をしてやってきた
「お食事の用意が出来ましたので、お持ち致しました」
「テジュンssi・・・」
「ジニョン・・・今日はこちらでお客様とご一緒に・・・」
「ありがとう・・・」
「八時にドンヒョクが迎えに来る・・・
それまで、ここで・・・待っているように、とのことだ」
「わかったわ」
サランが眠ったので寝室のベッドに寝かせた後、
ジニョンはヤンと向かい合って食事を共にした
しばらく、二人の沈黙が続いたが、ヤンが話しはじめた
「大変な手術だったね・・・心配していた・・・」
「ええ・・・アナから、あなたがご心配下さっていると
聞いていました・・・ありがとうございました・・・」
「君に・・・何もしてやれなかったね・・・」
「・・・・・・・・」
「私から・・・何か・・・なんて、望んでないね・・・きっと・・・」
「はい・・・何もいりません・・・
でも・・・ひとつだけ・・・
アナベルを・・・私のたった一人の妹を・・・
幸せにしてあげてください
あの子の望むように・・・お心を砕いてやって欲しい・・・
それだけです・・・」
「わかったよ・・・必ず・・・あの子を幸せに・・・
君達のように・・・」
「ありがとうございます・・・」
その後は、会話が弾むでもなく、時折ヤンがジニョンを見つめ、
ジニョンがその視線に応えて、微笑む・・・そんな情景が続いた
「いつまで・・・」
「明日の朝にはもう発つよ」
「お忙しいんですね・・・」
ジニョンは少しがっかりした自分の気持ちが嬉しかった
「・・・ある男に、後継者を断られたんでね・・・
しばらくは、後継者になる人間を育てるために
私が動かないといけなくなった・・・」
「フフ・・・それは大変ですね・・・
その男の人・・・恨めしいですか?」
「ああ、そうだね・・・でも、その男が、私の大事なものを
守ってくれてるんでね・・・それだけで十分なんだよ・・・」
「・・・・・・」
「ジニョンさん、幸せだね・・・君は・・・」
ヤンは確かめるようにそう聞いた
「はい・・・とても・・・」
「良かった・・・」
ヤンの目はジニョンをいとおしく見つめていた
ドンヒョクが時間通りにサファイアを訪ねた
ヤンに丁寧に挨拶をし、ソウルへ来てくれたことに礼を述べた
「お忙しいのに、無理を言いました・・・
お時間を作って頂いて、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ・・・気を遣っていただいた
ありがとう・・・」
「明日、お早いと伺いました・・・
私達はこれで失礼しますが、また、今度はアメリカで
お目に掛かれるようにします・・・」
「ありがとう・・・どうか、私のことはお気遣いなく・・・
こちらのご両親を大切に・・・」
「ありがとうございます・・・ジニョン?・・・サランは?」
「あ、あちらの部屋よ・・・」
「そう・・・じゃあ、ジニョンそろそろ失礼しようか・・・」
「え、ええ・・・」
ジニョンはヤンを見つめた
ヤンもまた、ジニョンに視線を向けたまま動かなかった
ドンヒョクがサランを寝室から抱いて出てきた
「ジニョン?・・・」
「ええ・・・今、行くわ・・・」
「それでは、失礼します・・・お休みなさい」
「ああ・・・お休み・・・」
ドンヒョクは部屋のドアを開け、先に出た
その後をジニョンが追うように部屋を出ようとした
その時、突然ジニョンが立ち止まって、ヤンに向かって声をかけた
「あの・・・」
ヤンが目を見開いてジニョンを見つめていた
「自分の口で言いたかったんです
だから、この前出したお手紙にも書きませんでした・・・
アナとの約束でしたから・・・
あなたに・・・どうしても・・・伝えたかった・・・
母と・・・愛し合って下さって・・・ありがとうございました
あなたがいなかったら・・・母がいなかったら・・・
そして、あなた方が愛し合って下さらなかったら・・・
私はこの世に存在しませんでした・・・
私は、こうしてドンヒョクssiと出逢えませんでした・・・
あなたのお陰で・・・今の私の幸せがあります・・・
どうか・・・もう・・・ご自分を責めないで・・・
アナもきっと・・・いつの日か・・・私と同じことを
あなたに、言う日がやって来るでしょう・・・
私は・・・あなたをきっと・・・生涯・・・父とは呼べません
でも・・・この感謝の気持ちだけはお伝えしたかった・・・
あなたの幸せを・・・私も・・・願っています・・・」
ヤンの目から涙が溢れた
ジニョンはそんなヤンから逃れるように、部屋を出ていった
ジニョンは部屋の前に置かれた車の助手席にさっさと乗りこみ、
ドンヒョクはサランを後部座席のチャイルドシートの籠に寝かせた
「ジニョン・・・抱き合わなくて良かったの?」
「・・・・・」
「ヤン氏・・・抱きしめたかったんじゃないかな・・・」
「・・・・・」
「ジニョン・・・」
ジニョンは顔を両手で覆って声をあげて泣いた
ドンヒョクは黙って、ジニョンが泣き止むのを待った
ひとしきり泣いた後、ジニョンは前を真っ直ぐ向いた
「何してるの・・・早く帰りましょ・・・」
「いいの?もう一度会って来る?」
ジニョンは大きく首を振った
「もう十分よ・・・ありがとう・・・ドンヒョクssi・・・
でも、人が悪いわ、あなた・・・
もっと、心の準備させてくれたらいいのに・・・」
「ジニョン・・・突然だから・・・自分の本心が伝えられるんだよ
用意した言葉ではなくてね・・・
君のヤン氏への心を・・・ね・・・」
「そうね・・・そうかも・・・ありがとう・・・ドンヒョクssi」
「それで?」
「何?」
「抱きしめてもらってくる?パパに・・・」
「ドンヒョクssi!・・・
いいの!・・・そんなことなくても・・・」
「ヤン氏は抱きしめたかったと思うけどな・・・」
「あなた、そんなに、ヤン氏と私を抱き合わせたいの?
やきもち妬きのあなたにしては、珍しくない?」
「親子の場合は別だよ・・・僕だって、サランをいつも
抱きしめていたいもの・・・」
「えー私とどっちがいい?」
「そりゃあ・・・もちろん・・・」
「もう・・・いいわ・・・サランって言うんでしょ!」
ドンヒョクは何も言わずジニョンを強く抱きしめた
ジニョンはドンヒョクの突然の行動に驚いた
「ドンヒョクssi・・・ここはまだホテルよ・・・
誰が通るか分からないわ・・・」
「いいんだよ・・・」
「よくないわ・・・」
「いいの!・・・君は、黙ってて」
ジニョンもドンヒョクを抱きしめた
「私もやっぱり、こっちの方がいいわ・・・」
「でしょ・・・」
ドンヒョクはなかなか車を出さなかった
きっと、この部屋の中で、ヤン氏が
ジニョンを想って、泣いているだろう
せめて、近くに・・・遠いアメリカではなくて・・・
せめて、近くで・・・ジニョンの面影を抱いていて欲しかった
僕も・・・ジニョンと同じように・・・
あなたに感謝します・・・
ジニョンをこの世に送ってくださった
あなたに・・・
サランがむずがって泣きはじめた
「ドンヒョクssi・・・そろそろ、帰りましょ・・・」
「ああ・・・そうしようか・・・待っててね、サラン・・・」
「ドンヒョクssi・・・その顔・・・ハンターやっていけないわよ」
「・・・・・」
「それにあんまり甘やかさないでね」
「いいじゃない、厳しいのは君担当・・・僕は可愛がり担当・・・」
「・・・・・」
三人を乗せた車がサファイアを後にした
サファイアの部屋では、ヤンがひとり、ベランダに出て
ワイングラスを傾けていた
時折、目を伏せて・・・時折、微笑んで・・・時折、涙しながら・・・
ジニョンに・・・
ドンヒョクに・・・
サランに・・・
・・・幸あれ・・・と祈りながら・・・