【お茶体験】 朝の散策を終えて戻ると既に十一時だった。 先生はとっくに市場から戻られ、朝食も済ませ、工場に でられていた。私たちも大慌てでソンミssi心づくしの 朝食をとった。
この日は、当初の予定では茶畑とお茶づくりを見学して 午後の遅くない時間に益山に向かう予定だった。しかし、 スンチョンは韓国でも南部にあり、今後もたびたび韓国に 来るつもりの私も、容易に度々来られる所ではないので 心残りの無い様名人シンガンス茶を、存分に体験して みたいと、同行のヨン友に胸の内を明かすと、気持ちよく 同意していただけた。 このヨン友はご本で紹介された先生が、既にそのお茶の 販売ルートが日本に作られていると知るや、求めて味わった 経験があり、先生のお茶に対しての深い理解や共感を持って いる人だったので、すぐ同意が得られて、本当にラッキー だった。 そこで午前中お茶積みをして、午後は差支え無ければ 茶づくりを一緒にさせていただきたいとお願いし、快諾を いただいていたったのだった。
散歩に時間をとられて、茶積みは茶畑見学のついでに十分 足らず程お茶を濁しただけとなった。私は茶積みがこれで 二度目だった。ご本出版の翌年四月、懇意にしている 有機農食品のお店の人に紹介されて、新茶摘みツアー に行った事がある。若芽を出したばかりの一番枝先の 軟らかい芽を先から計二・三枚を爪でポキンと折って 摘むのである。堅いとポキンとならないからどこを摘まめば いいか、おのずとわかるのである。
茶畑はご自宅の向かい側の山一帯にあった。部屋から 眺めているにはなだらかな静かで良い山だったが、ヨン輪 駆動に揺られて上る時は遊園地のジェットコースターにでも 乗った気分だった。 竹と一緒に植えられている茶畑、オノオレカンパという カバノキ科の木と植えられているお茶畑などがあった。
お茶の上で生育する木の葉がお茶の木を覆う事によって、 お茶の苦みを減らしてくれるのだそうだ。(一緒に植える 木の種類によって香りの変化をつける研究がされている とも聞いた気がするが・・・)
その山は先生が良いお茶を作るために、高い所にあり 風水のよい土地を探しここと決め、十六人もの地主と交渉 して譲っていただいたのだそうだ。趣旨を理解し中には 無償で譲って下さった地主がいらしたというから、先生の お茶に掛ける熱意というか真心は凄いものだったのだろう。
全ての地主から譲っていただくのに何年もかかったそうだが、 やり遂げ個人でその山に車が通れる道を作り茶畑を作る 過程は、費用も含めて並大抵の御苦労ではなかっただろう。
茶畑の見学も終えいよいよ茶づくり体験だ。 工場で働く人々はご近所の(多分)アジュモニ・ハルモニ達。 この日は六名ほど。
先生の茶づくりの釜は、ご本のパクドンチュン先生の釜の 倍i以上はあるようだった。形は違うが、似た大きさを探す なら、ご本140P百興庵の尼僧がご飯を炊いていたくらい だろうか。 その釜が(覚えているだけで)三つは据えられていたが、 この日火が入っていたのは一つだけ。昨日たくさん作った ので今日は少ないのだそうだった。
薪の焚口は建物の外部に付いていて、作業をする人が 熱気でつらく無いように配慮されているのかと思った。 工場の中には午前中に摘まれた茶葉が、大きな笊に 十杯程度、午後の作業が始まるのを待っていた。
いよいよヨンジュンさんが体験したあのお茶づくりを 間近に見る事が出来る! わくわくする胸をおさえ切れず ずうずうしいかもと憚られたが、釜に手を入れてみたいと 言うと、すんなりOKが出てアジュモニ2・3人で三重に 手袋をはめて下さった。
釜は既に充分熱くなっていて、先生が温度をみる為に 二・三滴水を垂らすと、ジュッと水蒸気に変わった。 それで300度程だという。350度まで上げて茶葉投入。
釜に茶葉が入ると同時にアジュモニ達の手動き出し また同時にどちらが早いか判らないくらい瞬時に 湯気が立ち上る。そして茶葉が釜から跳ねる音も聞こえて きた。とても鮮烈な印象だった。
茶葉が炒られる間、先生は釜に付きっきりで茶葉を 注視される。時々素手の手を入れて茶葉の炒り具合を みたり、掴みとった茶葉を鼻にもっていき香りをみたり される。私も先生を真似て、アジュモニのお邪魔にならない よう(の積もり)隙を見計らって、手を突っ込んで香りを 味わってみた。
しばらく炒り続けると先生がころ合いを見て最初の炒りの 段階が終わり、次は揉みの作業になる。
茶葉はアジュモニ数人が待機する筵の上にあけられる。 すかさず両手のひらの中に抱え込める程度を取り 筵に押しつけてギュッギュッと揉み込む。力の入れ具合が 判らなくて、強すぎはしないか心配したが、野生茶は丈夫で 強くしても破けたりしないそうである。安心してギュッギュッと やっていると、不思議にそれ以上丸まらなくなる時が来る。 その段階になると、干しの段階になり、干しも一定の時間 たつと二度目の炒りに入る。
こうして炒り・揉み・干しを繰り返す事最高九回まで行う のだそうだ。それぞれを行う長さ、何回繰り返すかは、 その日収穫した茶葉を食べてみてお天気も勘案して決める のだそうだ。この日の茶葉は確か八回だったかと・・・
二度ほど炒ったのを、いわれて食べてみたがただ 苦かった。ヨンジュンさんなら何んと言うだろう^^ 感受性にかなり大きな開きはあるが、いずれにしても
ヨンジュンさんが伝統的な茶作りで体験されたであろう 全ての過程を、多分私も体験できたのではないかと 思いとても嬉しい。
【お別れの会食】 この日の仕事をすべて終え、後は私たちを無事送り出す ばかりになった先生、体験を終えて先生のお茶に対する 理解も深めているだろうという信頼感からだろうか、 昨夜よりずっと打ち解け、はじめからお口も良く回った。
先生自ら買い出しに行って下さった刺身料理は、 ヒラメにマナカツオ。ヒラメの刺身は日本でも良く食される が、マナカツオは珍しい。私は煮つけにして食べる事は あるが刺身は初めてだった。
スンチョンは海に近く、朝早い時間に行けば良いお刺身が 手に入れられると、ただ嬉しそうに話すお気持ちが とてもありがたかった。酢とコチュジャンなどでつくった 韓国式タレで食べる事もあるが、日本式にワサビ醤油で 食べるのがお好きだという先生は、日本に来られる度 買って帰られるのだそうだ。これから訪ねる家族は、 手土産は練りワサビにすると、とてもお喜びになるだろう。 私はサンチュに刺身をのせ、刺身に韓国のお味噌をぬり 巻いて食べるのが良かった。キムチをその中に一緒に 巻くのも好きだ。
昨夜に続きこの日の食事もお手製のお酒で何度も乾杯を 重ねた。元来お酒に弱い私、ちびちびすすりながらお付き 合いしていたが、小さいグラス(ぐい呑みのおちょこ程度) 2杯程で顔が真っ赤になった。すると先生はまじめな お顔で、「あなたの赤くなった顔をお茶でクレンジングして あげましょう。」とおっしゃるのである。確かに食事の後 お暇の前に、もう一度喫茶体験の予定はあった。 が、お茶でクレンジング? 一体どういうことかとても不思議 だった。
【名人シンガンス茶】 入れて下さったお茶は先生の所でつくっている一番 ポピュラ―なお茶だ。一口で飲み干せる程度の小さな 器に最初の一杯を注がれ、どんな味と香りかするか神妙に 口に含んでみる。飲み終えると既に2杯目を入れようと 準備されている。急須に入った二煎目のお茶は、 同じ濃さで各自の器に注ぎ分ける為かと思うが、いったん 別な器にそそがれる。その時、先生は急須の位置を その急須の大きさ分だけ上に離して注がれた。ヨン友が 気付いて質問していたと思うが、残念ながら何故そうする と良いかは、記憶出来なかった。
そんな会話が交わされていたが、いつしかポッポと熱かった 顔が少し冷め始めたのに気付いた。殆ど同時にヨン友も 私の顔色の変化に気づいていた。
これはいとも簡単に説明できる事らしい。血圧を高める お酒と低めるお茶、飲酒して赤くなった私の顔は、お茶を 飲めば低められるということなのだそうだ。
理屈どおりに反応した我が体。実は昨夜のお茶にも 本当に正しく反応していて驚いたのだった。昨年末から ずっと毎日起床時には、決まって胃に鈍痛というか 重苦しさを感じていた。検査に行ったりしても原因が はっきりせず、痛みも去らずの状態が続いていたのである。 それが、この朝少し改善した。我ながら何んと単純で 明快な体なのだろうと驚いている。
ソウルへの帰途は、スンチョン市外バスターミナル迄 ソンミssiに送っていただいて、18時ヨン10分発のバスの旅 である。所要時間は休憩込みでヨン時間弱。 時間が無い時、疲れている時はKTXやセマウル号もいいが 何んと言っても便数が多く経済的なバスは、庶民の手軽な 交通手段だ。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
MARInet様、ベササの皆様、拙く且つ文字ばかりの長文を お読みいただき、ありがとうございました。
思い立った時からずっと幸せな体験が続いた今回の旅 お世話になったチョンハン会スタッフ様、名人シンガンス 先生、ソンミssi、御子息、ハドンの食堂のアジュモニ、 バスで行き会った人々、お茶工場のアジュモニ達そして 何より我儘な私にじっと寄り添って同行して下さった我が ヨン友に深く感謝します。
------------------------------------------------
|