【最初の、夜の会食】 私たちが到着したのは、日が長い韓国にあってようやく 暗くなり始めた七時少し過ぎだった。
先生はその日のお仕事がまだ終わってないそうで、先生の お仕事が終わるのを待って夕食に出たのは、8時を過ぎて いただろうか?(メモもとっていないアバウトな記憶で済み ません。)向かった先は2009年6月初め、ヨンジュンさんが 先生を訪ね時間を忘れて話に聞き入った後、食事を摂って いなかったことに気づいて行かれた、まさにそのお店であった。 その時食事に向かったのは9時頃だったとか? (先生とご一緒 というだけで既に、緊張と興奮で心ここにあらず状態、たくさん 伺ったお話しが、ちっとも具体的な言葉や数字が覚えていなく て、ミアナmニダ! )。
お店までは車で行ったのだが、着いてみるとお宅から目と鼻 の先の焼き肉ガーデンだった(有名なお寺が近くにあると いう事で観光地なのか、近所には焼肉レストランがたくさん あった)。 車から降りるとお嬢さん(ソンミssi)は、家から持参したたくさん のサンチュを、ご近所同士自分ちにある物は何でも、分かち 合うのだとお店の御主人に渡し、食事中に飲むために、自家 製のお酒も持参されていた。 何種類かの木の実(果物)で作った甘いお酒と、梅の実を干し たもので作った物の2種類。まずは甘いお酒で乾杯し ついでお酒の種類を変えては乾杯、時間が少し経過したから 乾杯、何だかお酒を注ぐたび乾杯していたような~
韓国の人は、特に何にということでもなくても、一度の会食中 に何度も乾杯を重ね、飲み且つ食べるのが好きなのだとか おっしゃったが、今にして思えば私たちが緊張して座が白け 無いよう、気遣ってくださったのかも・・・。 注文のお肉はお店にある全種類、牛・豚・鶏・猪。きっとヨン ジュンさんの時も同じものだったのだろう。テーブルには季節 の山菜や野菜のナムル、数種類のキムチなどパンチャンが 所狭しと並べられ、ご本198ページに彼が自国の植物資源の 豊富な事を誇らしげに書いている通り、その食材の豊かさに 野菜料理に目が無い私は、目が釘付けになった。
ふと気付くと先生は黙々とお肉を頬張り、杯を口に運んでいら っしゃって、シャイでお茶の事について話すような時以外は 無口でいらっしゃると聞いてはいたものの、何もおっしゃらない のが気になり「先生は食事の時はいつもこのように無口で いらっしゃるんですか?」と言ってしまった。それが契機となった わけではないが、食事も進むうちぽつぽつヨンジュンさん 来訪の折のお話しも出始めた。
先生はペヨンジュンという名の俳優の存在はご存知であった し、目の前に居る若者がその人である事も知っていらした そうだが、敢えてその事には触れずお話しされていたそうで ある。その間彼は帽子をかぶり、サングラスも被ったまま 先生のお話しに傾聴し、お茶を二十何杯も飲んだのだそうだ。
食事に出て、彼自身の事に話が及ぶと、初めて帽子をとり サングラスを外したのだとか。そしてその席でか、またその後 の席でなのかは失念したが、先生のお茶について "初めての自分に出会ったようだ"とかおっしゃったそうだ。
ヨンジュンさんが真剣に先生のお話しの精髄を受け止め 感じられたであろうその感覚が、どんなものだったのか もっとよく知りたくて聞き返して見たか゛、悲しいかな俗物ミーハ ーな私には瞬時の理解が難しく、かつ更に聞き返すのも 憚られた。またの機会があればもっとしっかりお聞きしたい と思う。
開き始めた先生のお口は閉じることなく、ご自身の来歴から 始まって、お父上が住職をなさっていたソナムサ(仙厳寺) の 開祖は、日本で臨済宗を起こした栄西が学んだと同じ中国(宋) の臨済宗で学んだ同門の流れであること、そこに伝えられた 茶脈を先生はお父上から継がれて、お釈迦さまから数え 87代目のお弟子にあたるのだということなどをお聞きした。
栄西は九州佐賀県せぶり山でお茶を栽培し、それが日本で 初めてお茶が生えた山だそうで文化財として保護されている そうだ。 栄西が書いた『喫茶養生記』には、お茶は仙薬で寿命をながく してくれる。 どんなお茶が良いお茶かと言うと、五味を持った調和的なお茶 が五臓が安らぐ茶になる、云々。 お茶と仏教は一つのものとしてとらえられ、お茶の習慣が、寺を通じて伝えられてきたが、李氏朝鮮の長い崇儒廃仏思想の 中で、寺は山奥へ山奥へと追われる中で、民間ではすっかり 廃れてしまった。日本から改良種の大量生産茶が入ってきて、すっかり在来種のお茶の木が少なくなったと聞いた時、貴重な 種を絶やしたようで、申し訳ないと思うと伝えると、それは 必ずしも悪いことばかりではないと言って下さった。 おかげでまたお茶の習慣がでてきたのだと。
【一回目のお茶】楽しい会食にお腹も心もすっかり充たされて 戻ると、先生の後継者としてお茶の様々な楽しみ方を研究し ているというアドニム(息子さん)が、お肉を食べた私たちに、 明朝消化不良をおこさずにいられるようなお茶を淹れましょう と、お茶の展示販売兼百人くらいの人数がお茶体験できそう な「名家・勝雪軒」という建物へ案内して下さった。 この時のお茶は低温で発酵させて、一年寝かせたというお茶 で、通常より濃い目に淹れてくださったのだという。 勧められるままに杯を重ね十杯以上は飲んだだろうか。
お茶の味は、私には描写する力が無いから触れないが、効果 のほどについては、翌日午後に先生が入れて下さったお茶も いただいたので、それと合わせて最後に書いてみたい。もった いぶってミヤネ^^
喫茶を終え勝雪軒を出、部屋に戻る時、ソンミssiが夜空の星 が美しい事を教えてくれて、しばし観賞。しばらくあとで部屋の 周りの街灯も消して再度、あそこにもここにもと満天の星を 楽しんで就寝。
【仙厳寺へ朝の散策】アドニムのお茶の効果か、爽やかに 目覚めた私たち、身支度を整えているといつしかソンミssiが やって来た。今日はお昼にみんなでお刺身を食べようと、 お父さんが市場へ買い出しに出かけたので、戻ったら朝食に しましょう。それまで時間があるので、散歩がてら仙厳寺へ 行ってきたらどうかと勧められた。
昨日のバスの一件の時、同じ停留所で下りた若者たちに、 その停留所からソナムサまでの距離を聞いたら、三キロだと 言っていた。停留所からシンガンス茶まで二キロはあった から、ソナムサ迄は残り一キロ程だと考え、軽い朝の散策の 積もりで歩き始めた。嗚呼韓国の寺は決して初めてでは なかったというのに・・・・。
ソナムサはチョゲサン(曹渓山)という山中にあり、多分山裾の 麓までがお寺の敷地になっていて、最初にソナムサの文字が ある門までは確かにすぐ着いた。 がいわゆる伽藍のあるせまい意味でのお寺の門前までは さらにかなりの距離があった。最初の一キロの倍ぐらい歩いた 頃には、若干後悔の念が湧いたが、若芽を芽吹かせている 名も知らぬたくさんの木々を愛で、鮮やかに花開かせている 牡丹や薔薇、西洋アジサイに目を奪われ歩くうちに到着して しまった^^
道中の山道の左側にはせせらぎが流れていて、それも変化 があって良かった。ところどころに橋がかかっていて、かなり 奥まで進んだ所に昇仙橋という、宝物指定を受けている美しい 橋があった。これはあの四つの石井戸と同じくらい必見だと 思う。
(続く)
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