… そして、 もうひとり
…
あの年、 この日に、 あの大きな手のひらに小さなチョコを
ひとつのせた時から、 6回。
2回目からは、 少しチョコを増やし素敵なラッピング
とまではいかないが、 袋にいれるようになった。
そして、 7回目のチョコはまだ鞄の中に入っている。
帰り身支度をし、 研究室を見渡し電気のスイッチに手が伸びたが
溜息をひとつつき、 片隅に置かれた長いすに腰をおろした。
バッグをあけ小さな包みを手に取り眺めていた。
今年は、 今までとは違い神戸と大阪という距離が このチョコを
…
私が医師国家試験に合格し、 研修医としての2年間
母校の神戸の大学の付属病院で勤務をしていたから、
その日のうちに手渡すことが出来た。
昨年、 ちょくさんが医師国家試験に合格し、
研修医として現在は大阪の大学の
付属病院で研修医として勤務している。
用意したチョコを鞄にしまい、 電話をかけるべきか?
そのうち、 あった時に
…
などと考えていると、 ジャケットのポケットの中で
携帯がブルブル振動した。
電話をかけるべきかと迷っていた相手からだった。
携帯を耳にあてたとたん、 いつもの事ながら、
こちらが返事をする前に
…
「 どこ … ? 」
「 研究室! 」
「 まだ仕事? 」
「 今、終わったわ。 」
「 そう~ じゃ~な~ 」
「 何よ~ じゃ~な~ って … 」
「 ・・・・・・ 」
「 も~ ちょくさんは? 」
「 終わった。 」
「 お疲れのようですね。 」
「 まあな~ 」
「 も~ 早く帰ってねなさい! 」
そういって私は苦笑しながら携帯を閉じた。
内心、 声だけでも聴けたからいいか。
と 自分に言い聞かせいる自分が、 いとおしく思えた。
ぶっきら棒の電話の相手は、 園田 直 ( そのだ すなお )
29歳。 研修医。
仲間からは 先輩であっても年上と言うこともあって
「 ちょく 」
と 呼び捨てではなく 「 ちょくさん 」 と呼ばれている。
私も 「 ちょくさん
」 と呼んでいる。
ちょくさんは、兵庫県神戸市に居住。
医師の父。 そして母・祖母との4人家族。
父は、現在、大阪の大学で教授である。
他界した祖父も医師で医師の家系のようだ。
ひとり息子で、幼き頃より当然のように医師の道を、
自分でも回りの者も疑う事なく決められた路線を歩んでいたが、
高校3年の最終決定の3者懇談の前の日に、家族に医学部には
行かないと告げたらしい。
その行為は、 深い意味はない。
しいて言うと親への反抗心が少しはあったかな~
と以前言っていた。
さらっと言っていたが、 私はそんな簡単なものではないと思った。
何かもっとあるように感じた。
そして、 私が生まれ育った京都の大学の工学部に入学し卒業した。
その間は、京都でひとり暮らしをしていたようだ。
卒業後、 翌年に生まれ育った神戸の大学の医学部に入学して来た。
そして、 現在は自宅から大阪の大学の付属病院で
研修医1年目として勤務している。
私は、加賀美 呼子 ( かがみ ここ ) 呼ぶ子と書き 「 ここ 」 と読む。
26歳
。 ひとり暮らし。
神戸の大学の付属病院で研修医として勤めた同じ病院で
勤務医として1年目。
実家は京都で、 百年以上続く和菓子の老舗。
数代、 男子の誕生がなく、 姉も婿養子。
母も、 祖母も婿養子を迎えている。
祖母と母。 そして姉でお店はしきっている。
婿養子の父は京都の大学で考古学の研究をし教授である。
姉は、当然のように婿養子をとり、店を継ぐのはあたりまえのように
子供の頃から何の抵抗もなく日々を過ごしていた。
お勉強は嫌いと中学から母も祖母も通った私立大学の
付属校へ通い、 大学は推薦で入学。
卒業と同時に家と家とが決めた結婚。
株式会社になっているので将来はこのままだと
義兄が社長としておさまるのだろう。
母が社長。祖母は会長顧問と言う肩書きである。 と思う
…?
姉や義兄の肩書きは知らない。
私も祖母 ・ 母 ・
姉が通った学校に高校まで通った。
このまま、 京都にいたら姉と同じ道を
…
大学卒業と同時に結婚。
反対されずにこの家から離れるにはと
高校になった頃より考えはじめた。
家族は勿論まわりのものも、そのまま大学へ進学するものと、
暗黙のうちに思っているようだ。
特に話題にもならず、 聞かれる事もなかった。
あまり早く告げると大変なことになるのは予測できた。
しかしいよいよ 高校3年の2学期。
進路を明らかにしなくてはいけなくなり
担任に医学部受験をはじめて伝えた。
担任はおろおろしだし、 家に電話かけ母にすぐくるように
…
あわてるのは無理はなかった。
大学入学と同時に姉の時と同様
多額の寄付金をあてにしている為に、志望校の変更は
想定外で担任としては汚点につながるのだろ~。
私は教室で待つように告げられた。
入試までにすることはたくさんあり、 教室で勉強をし始めた。
担任はしびれを切らしたのだろう。 教室に入ってきた。
普通なら子供が通う学校から至急来るようにと連絡があると
何をおいても飛んでくると担任教師も思いこんでいたようだ。
私は、時計を見た。
あれから2時間はたっていた。
「
お母様、 遅いわねえ~
」 と 窓辺に立つた。
私は母の行動は読めていたので、 早くてあと30分はかかるだろ~
それでも母にしたら大変なことだ。
電話をきり、 まず鏡の前に行く。
そして、 美容院に行くべきかを悩む。
結局時間がない事に気がつき、 ときつけだけはいくだろう。
着物選びに時間がかかり、 それから車の手配と
…
窓の外を眺めていた担任が
「 あっ! こられたようよ
」
しばらくして、 教頭先生に案内され教室に入ってきた。
教頭先生に 母が、
「
いや~ おおきに … お手をわずらせてしまいまして!
」
丁重に挨拶を済ませ、 前に担任がいるのに気がついてか、
つかないのか?
母は 「
koko ちゃん、 すぐにおかあさんが学校にきなさいって
お電話あったのよ。 いや~ 先生こんにちわ
」
教室から来客用の部屋に案内され、 お茶が運ばれてきた。
添えられたお茶菓子は我が家のものだった。
母が、 手土産にさげてきたものだろ~
母に担任から志望校変更が告げられた。
母は担任をよそに、
「
いや~ koko ちゃんそうお医者様になりはんの~ 」
と、 第一声だった。
「 そうどすかあ~ koko
ちゃんがお医者様にねえ~
お稽古もせんとお勉強ばかりしてはったもんね~
そうどすか~ おきばり …
」
母は満足げに、 私の顔を見て微笑んだ。
まあまあ~ 私の思いは成功につながった。
母は人前では取り乱すことはしない。
小さい頃こらそういう教育を受けている。
私は、 姉とは逆におけいこ事が嫌いで、
勉強があるからと言うと、 お稽古ごとも免除されるので、
いつも机にむかっていた。
担任は母のことを理解していないようだ。
ますます顔面を紅潮させ
「
お母様。 今頃からの進路の変更は、
学校側といたしましては … 」 と
…
話もそこまでとばかりに母は、
「 先生も、ようやったと、
koko
のこと褒めてやってください。 koko がねえ~
」
母は、 担任や学校側の考えは百も承知している。
おもてには出さず話はここまでとばかりに、
「
ほな。 このお話は、 koko ちゃんがお医者様の道を
選ぶと言うことで …
」
こうなると、 母のペースで流れ出した。
「 お母さん帰るけど、 koko
ちゃんどうしはる。
お車待ってもろてますけど一緒にのっていきはりますか~
先生おおきに~
先生の大切なお時間これ以上
…
心苦しいどす。
ほんならお店もありますし、 お暇させていただきます。」
席を立った母は私の方をみて
「
ほな、お暇させていただきまひょ~ 先生おおきにい~
」
職員室の前を通りすがると教頭先生が飛び出してきた。
「 おかえりですか?
」
「 へえ~ 教頭はん うちのkoko 、 お医者様になりますねんて
…
なんやおかしな感じですわ~
主人の血がようさん、 koko の身体に流れておすねんやろな~
」
教頭は担任に目をむけたが、 担任はうつむいたままだった。
母と私は車に乗り込むと
「 koko ちゃんお話はわかりましたけど、
お家から通えるところにしてね 」
「
それはいくらなんでも無理ですわ~ 神戸の大学にします。」
「 そう。 そうどすかあ~ さみしおすね。 そやそや …
」
と、母は携帯を出した。
「 加賀美どす。 ご無沙汰しまして … 」
「
へえ~ おおきに … 元気にしてますぅ~
今日お電話させていただきましたのは、
あんたはん神戸に大きなマンションもたれてましたな~
ひとつ私に譲ってらえますかあ~」
こんな調子で、 あっと言う間に決めてしまった。
「
おかあさん! まだ合格してへんのに …
合格しなかったらどうするのどすえ~ 」
「
何をいうてはんの~ 偉い弱気どすなぁ~
koko
が受からないで誰がうかりますねんや~
まんがいち だめな時はだめなときに考えたらよろしい~
koko はお勉強がんばりなはれ。
あとの事はおまかし。
ああ~ 帰ったら忙しくなりますなあ~
」
帰宅後案のじょ~ 母は女3人組の2人に召集をかけた。
あくる日から、 神戸に出動。
それから、 半年あまり時間を作っては
神戸のマンションに通いつめ、
合格後、私が足を踏み入れた時には
完璧な状態ですぐに心地よく生活が出来た。