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*JOONといっしょ*
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No 33 HIT数 3189
日付 2008/02/25 ハンドルネーム ★joon
タイトル 【翻訳】Korean Times BYJ:韓国のイメージ (その1~3)
本文 (その1)

これは、2008年2月14日にquiltのJoanneさんが載せて下さったThe Korean Timesの「韓流の高潮 No.7」ペ・ヨンジュン:韓国のイメージ です。公式に訳が載っていましたが、まだヨンでいないので順々に訳していきたいと思います。まだの方は、ご一緒にどうぞ。。。 (いつもぐずで乗り遅れのMyonneです。。)

The Korean Times 2/13/08

この数年、韓国の映画、TVドラマ、そしてポップミュージックは海外で非常に人気を博しており、その現象は‘韓流’という名で知られている。これは、東南アジアおよびその周辺諸国における韓国大衆文化の広がりを研究する何名かの外国人学者およびジャーナリスト達の様々な考察のうちの7番目のものである。---Ed.

世界中の消費者達は、一体何に対して抗しがたい魅力を感じているのであろうか?業界の専門家や経済アナリスト、そして学者達がこの数年にわたってこの難しい疑問を解明しようとしてきた。

最も一般的な説明のひとつは、他諸国で長い間人気のあった日本のTV番組の値段がほとんどの国々において全く手が届かないほど急騰してしまった時、韓国が安価なエンターティンメントを供給したからだというものだ。

確かにこの要素は韓国ドラマや音楽が他諸国に導入していく中で、重要な役割を果たしていたかもしれない。だが、それだけではこの質問に対して決定的な答えだとは決して言えない。エンタティンメントが安価だ、という理由だけでは、聴衆を必ず惹きつけるということは意味しないからである。――それはアメリカのTVをちょっと覗いてみればわかることだ。

この人気ブームの第二の理由としては、韓国ドラマは日本の’トレンディ‘ドラマから多くのものを取り入れており、その結果、事実上、より安いコストで同じタイプのエンターティンメントを供給している、というものだ。

けれども、ここでもまた、その正当性はまだ証明されない。というのは、韓国映画やドラマの多くが、日本の原作からインスピレーションを得てはいるが、原作を再解釈したものはまさしく韓国風なのである。2002年MBCドラマ「ロマンス」とその原作の日本のドラマを比較してみると、注目すべきいくつかの文化的な差異が見えてくる。――この二つの作品が全く違うものであることを表すのに十分なほどの差異が。

第三の理由として、これは韓国ドラマの人気を説明するのに、最もしばしば使われるものだが、これらの作品が厳格な道徳理念に基づいており、主人公達や彼らの行動が伝統的な価値観を賞賛している、というものだ。

実際、これはいくらか当たっている。けれども、殆どの場合において、最も道徳的な登場人物――冷酷な義理の母、石頭の両親、厳格で権威的な人物――などは、しばしば最も欺瞞的でもあるという結果が露呈することになっているのは、非常に興味深い。だが、物語の結末は、道徳的権威に対してこれ見よがしに問いかけようとはめったにはせずに、視聴者に対してどの文化にも欠点はあるものだ、ということを気づく機会を提供している。

それでは、世界のこの業界における韓国の突然の成功の理由を説明するもの、あたかも一夜のうちに未確認物体から取り出して世界のエンターティンメント資本としたものは何であろうか?その答えは、言うまでもなく、韓国が過酷な経済的および文化的危機を乗り越えてきたその直後に、掘り出し物のように同時に起きた様々な要因の中に含まれている。

事実、私達は’韓流‘というものを、一つの際立った流れとしてではなく、むしろ様々な現象の集合体としてみることによって初めて、その展開を理解し、その成功、それが作り出した経済的なブームよりもはるかに多方面にわたっているその勝利を、正しく評価することが出来るのである。

(その2)

あるひとつの潮流

’韓流‘について語ることは、非常に複雑な現象、しかも文化的政治的かつ芸術的な面でも非常に多大に広範囲な意義をもち、およそ範疇分けなどうけつけないような現象を定義しようとすることである。韓流の影響は国と国の境を越えるばかりでなく、社会的政治的な生活など全ての分野までにも及んでいる。つまり、韓流は韓国の経済的文化的再興に重要な役割を果たし、自由貿易協定に関する議論にまで影響を及ぼしている。韓国と日本の間の(独島問題危機など)極めて難しい瞬間にも、両国の緊張をやわらげるのにも役立ち、アジアや世界中のファン達を結びつける働きもしている。

単なる経済的な流れではなく、韓流はアジアの文化的気候を変化させ、その影響はその他の国々においても感じられる。

西欧の批評家達がこの現象を理解することを困難にしている最も難しい問題の一つは、その多くが「韓流」と言う言葉が、特別に映画界のある動き、例えば、1950年代のフランスのニューウェーブや、ほぼ同じ時期の日本のニューウェーブ、のようなものを意味していると考えるところにある。

実際には、’韓流‘と言う言葉は、それとは異なった流れを指しているのだ。その言葉は、1990年代後半に中国のジャーナリスト達によって作り出されたもので、瞬く間に広がった韓国文化の人気を、天気の寒気流、つまり’寒流‘と同じだとみなした、一種の語呂合わせなのだ。ただ一連の映画界の潮流の最新のものだと誤解することは、韓国文化の利益を害するばかりでなく、この現象の大きさを見誤ることにもなる。

韓流がその独特な魔法を作り出してきた方法があまりに多岐にわたっているので、その存在の理由をたったひとつ明言しようと試みることは、韓国映画やドラマを愛する何百万ものファン達の個々の意見を、たったひとつのまとまった言葉にまとめようとすることと同じくらい無益なことだと、いうことは疑いようもない。

(その3)

*ある顔の価値

韓流がその姿を現すために必然だった経済的政治的影響について深く掘り起こすよりもむしろ、私は最近の韓国エンターティンメントにおける、はるかに目に明らかな、そしてはるかに直截的な性質のもの:その美学、に目をむけてみようと思う。更に具体的に言うならば、韓国文化を世界中の国々へ売ることに関して、他の何よりも責任を果たしうるイメージ、つまり、ペ・ヨンジュンの顔、について考察していきたいと思う。

1955年フランス人評論家Roland Barthesは、映画スターのイメージに関する、その後の全ての研究の試金石となったエッセー「ガルボの顔」を著した。スウェーデン出身の気どらない若い女性、Greta Gustaffsonはハリウッド映画の中からそのまま変身し、Greta Garboグレタ・ガルボという女神、美と欲望の象徴、そして映画というものの磁力のシンボル、となった。

その後の年月において何人もの他のスター達もゆるぎない成功を収めたが、ガルボのようにまるで催眠術にでもかかったような魅惑をかもしだしたものは他にはいなかった。Bethesは、それは映画というものが一種宗教的な、あるいは神秘的な性質をまだ保っていた特殊な時代に、ガルボが現れたせいだと述べている。ガルボは映画の魔術のシンボルになったのだ。

だが、その伝説的な人気にもかかわらず、ガルボの時代は短かった。20年にも満たない。1930年代後半までに、彼女は自ら亡命生活に入り、公衆の面前で老いていくことよりも無名になることを選んだ。同時に、映画に音声と天然色の導入を可能にした技術的進歩は映画というものを永遠に変化させ、無声映画の恍惚とした献身的な体験をより積極的な観客行動へと変えていったのである。そしてそれは、スターが、かつてガルボが成していたように、ある種の抽象的な理念を具現することをほとんど不可能にしてしまったのだ。

ガルボにとってかわるものが、その後の時代にかりにも出現した、それもハリウッド以外のところで、それも映画からではなくTVから、などと知ったら、それこそびっくり仰天するであろう。だが、それは正に韓国で起こったのだ。ガルボの顔は映画、つまり技術と産業化の結婚によって作り出された芸術が、伝統的なものからモダン(近代的)なものへのシフト(切り替え)を緩和させる役割を果たしていた時代のシンボルであったのに対し、ペ・ヨンジュンの顔は正反対の方向への動きを表している。つまり、エンターティンメントがほんの空虚な反復でしかなくなってしまった時代、全ての動作全ての感情が視聴者へそのまま放映される時代から、過ぎ去った過去の時代を憧憬にみちたノスタルジックな視線で振り返るような動きを表しているのだ。

もし、ガルボがBerthesにとって’理念‘を表しているならば、ペ・ヨンジュンの顔は更により基本的な何かだ。すなわち、それは媒体なのだ。―――おそらくその上に理念が描き表されるキャンバスだ。ガルボのように、彼は独特でかつ普遍的だ。彼の造作、彼の行動は、ガルボのように男性的なものと女性的なもの、人間的なものと神性なものとの境界をあいまいにしている。そしてガルボのように、ぺのスクリーン上の存在は、演技というよりもむしろ態度だ。まるで芸術作品の中で不死の命を与えられた人物の姿のようだ。




※こちらはMyonne - 3さまの和訳です。チング経由で転載許可いただいています。
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